漆工 綿引千絵の奮闘記
 
仕事だ仕事!
 年が明けたと思ったら、2007年ももう24分の1が過ぎ去った!「もう師走か」と思う時も流れる歳月の早さを感じるが、その時はもうあきらめが入っている。それより、正月のひと月の早さに驚く時の方が焦る。

 仕事も少し始めてはいますが、今年はまずこの大仕事がありました。輪島のある塗師屋さんから譲り受けた塗師風呂を組み立てたのだ。(塗師風呂とは:漆を塗ったあと、器物を入れて乾かす押し入れのような箱。この箱(室)を湿らせて湿度を上げていくと漆は乾く。)



 輪島を出る時、実家まで風呂を運ぶお金がなくて、上半分だけを解体して持ってきた。少し大きい下半分は大家さんにお願いして、預かってもらっていた。それを去年ようやく引き取ってきたのだが、組み立ては一仕事なので、お正月休みまで延期していたのだ。
 組み立てながらまじまじと見ると、風呂はとても老朽化している。本当は板や柱を補修してから使った方がいいのだろうが、見て見ぬふりで最低限のことだけをする。でも、さすがに壁板がバリッと三つに割れたところは、漆でつなぎ合わせた。
 大事な仕事の相棒だから、少しずつ直してあげないといけないだろう。大切に使うから、末永くよろしく頼みます。


 それから、今年は自宅前に看板を出すことにした。宣伝できるほどの実力かと問われれば、まだまだと自覚しているが、漆のこと・自分のことを知ってもらうことは今から大切だと思う。

 

 まだ途中だがこんな看板です。もう少し彫りをきれいに仕上げて、彫ったところを朱漆で、文字部分を銀で、漆らしい雰囲気にしたい。上の方に「ぬりもの 製造 修理」と漆で筆書きしよう。
 自分を「漆器店」と名乗るのは、‘町の漆器屋’として、「漆のことならあそこに相談してみよう」と思ってもらえる気安い存在になりたいから。私は職人とも作家とも言えないし、どちらにもこだわらないし、二つは定義によって意味が変わるし…、とにかく、漆に関して自分の持てる能力でできることを精一杯やっていきたい、と考えるうちに、個人名で名乗るより、看板ではこの名前、と落ち着いたのだ。
 でも、「漆器店」とすると店舗じゃないのに店舗みたいだな。店は売る場所だから、売り手として、漆を伝える役割でもプロになっていかないと、と思っている。すべて「これから」だなぁ。でも、何事も焦らず一つずつ、ですね。
【2007.01.17 Wednesday 20:44】 author : chiewatabiki
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自問自答と今年唯一の出品
 先日ある作家さんと話す機会があった。それまで名前も存じ上げずもちろん初対面だった。どんな物を作るのかと問われ、私が日用雑器と答えると、雑器なんかダメだ、と否定されてしまった。雑器を作るんだったらプロはあきらめな、雑器は消えて当然のものだよ、と言うのだ。私は今の流れは「普段使いの漆器」(そういうブーム的な盛り上がりは好きでないが)だと感じているので、その人の言葉に面食らってしまった。
 漆で食べるというのは困難なことなので、諸先輩方と話すと「この道は厳しいぞ、意志がないならやめた方がいい」といった忠告はよく受けるが、この時はそういう感じだけではなかった。その雑器不要論だが、根拠が「雑器ならもう出尽くしているし、何を作っても人と似ちゃうじゃない」、それから「昔の日本にも雑器は無かったでしょ。高級漆器か冠婚葬祭の漆器しか存在しなかった」ということだった。私の考えでは、まず雑器は出尽くしてないし、そして過去に雑器として漆は用いられていた。
 何でもまじめに受け取ってしまう私はすぐムキになる。器が小さいのだろう。だいぶ先輩であるその作家さんに楯突いてどうするんだと思いながらも、引き下がれずだらだらと平行線の「論争」を続けてしまった。帰り道、大いに憤慨しながら自問自答した…私は奇抜な物を作りたいんじゃない!オリジナリティとか個性とか私は別に要らない。だいたいどんな物にも自分というのは滲み出てしまうもの、それが個性でしょう。どこにでもあるような椀でいいから、使って初めて感じる持ちやすさ、口当たりの良さ、それから心地よいラインとか高台とのバランスとか…細やかに設計されて丈夫に作られた椀、そんな雑器は無意味なのか?今売られている雑器を見渡してもお客さんが自分に心地よい形と機能を選び取れるほど、バラエティは豊富でないと思う。一生漆に縁のない人もいるだろうが、近代以降の漆器離れは良質な雑器の種類があまりにも少なくなったのが原因じゃないか。ちゃんとしたものが普通に売られていれば、雑器は消えゆくものにはならないんじゃないか。作り手の側が自ら「雑器なんて無くなるでしょ、プラスチックの方が優れてるもん」と言うのは、現実的でもあるが寂しいじゃないか。
 でも歴史的に漆の日用雑器が本当にたくさんあったのか、庶民といっても豊かな庶民しか使えなかったのか、その辺は勉強しないとな…。


 最近注文品と平行して取り組んでいたのは市の展覧会に出す作品だ。牛の革に漆を塗る「漆皮(しっぴ)」の皿を3枚、朱と黒と銀に塗った。豆がモチーフなのではないが豆形みたいな形で、低い足をつけた。
 しかし、これが意図していたように仕上げられなかった。しかもうまくいかないから思った以上に時間がかかってしまった。形が丸まっこいので、塗りはツルツルではなく下地のザラザラ感を残して上塗漆で薄くコーティングしようと思っていた。でも結果は、朱は上塗が厚すぎてザラザラが消えてしまった。黒は下地の雰囲気を残せたが下地の凹凸にムラがあり汚い印象になってしまった。きれいなざっくり感を出したくて最後の最後まで足掻いたけれど、結局中途半端なままだ。銀はもっと銀粉を厚くしたかったけれど、下地の凹凸があるので、銀の層が擦れて剥がれてしまう。うっすら下の漆の色が透ける、薄い銀化粧となった。
 納得がいかなくてももう時間がない。明日搬入だ。私が市展に出品するのは宣伝のため。地元で漆器販売と修理をしていきたい私としては、「この町に漆をやっているこんな人がいますよー」とアピールしたい。名刺代わりの作品がこんな出来で情けない。
 先日の「議論」が反省される。自分の考えは間違いではないと思うが、結局もっともらしい理屈を言っても、物作りは物で表し物で勝負しないとゼロと一緒なんだなぁと痛いほど感じる。漆皮皿で自分が意図したザラザラ感は、雰囲気のねらいでもあったが機能面でも意味があった。いつものおかずを盛るには表面がツルツルだと使うのがためらわれるかもしれない。ザラザラなら肉をフォークで刺したりも平気だろう。使える雑器を作ってからでないと「雑器は生き残る」と主張してもダメなのだった。あの作家さんの論理には賛成できない点が多かったが、あの人はちゃんと物を沢山作って売って、自分の考える漆はこうだ!というのを作品にあらわしている。結果も出している。その意味でやっぱり私は足元にも及んでいないのだなぁ。少し頭は休めてもっともっと手を動かさねば。

漆皮皿
【2006.11.01 Wednesday 07:55】 author : chiewatabiki
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親指切断?!事件
 9月はあっという間に終わってしまった。時間に追われているのはいつものことだが、今月は9月3日のささいなミスからちょっとした騒ぎ(といっても家族内)を招いてしまった。今、手の指は10本ちゃんと揃っているが、一時「親指短くなるかも」と医者に宣告されてしまったのだ!

 研いだばかりの小刀でヘラを削ろうとしていたときスパッと左親指の指先を切ってしまった。指の傷ってホントにホントに痛いものですね。その日の夜は痛くてほとんど一睡もできなかった。
 普通の人は血が止まらなかったり痛みがひどければ病院に駆けつけるのだろうけれど、私はなんだか病院を最後の手段みたいに考えてしまう癖がある。結局痛みに耐えられず、また治るか不安にもなって、外科に行ったのは3日後だった。グジャグジャになった傷口を見たお医者さんには呆れられるし、その後治るまで3週間まともに左手を使えなかった時間のロスを考えれば、とっとと初日に病院で2,3針縫ってもらえばよかったと後悔。頭ではそう解るのだが、どうも私は自然治癒志向が強くて、今回も「我慢してれば治る」と自己判断してしまっていた。
 というのも、うちの母親は30年も前から「ロハス」な(?)生き方実践者で、食べ物は自然食、民間療法大好き、家に置き薬はなし、風邪は生姜湯を飲んでひたすら寝て治せ、という人なのだ。私はそんな考えに浸って育った。だから、なんとなく薬や病院に頼ること=悪いこと、という考えに無意識に傾きがちなのである。母の病院嫌いエピソードをひとつ。10年近く前に母は胃を壊して吐血した。すぐに家族が救急車を呼んだところ、母は乗るのを拒んだ。血を吐いて真っ青になっているというのに、フラフラ2階の自室に上がって行ってしまった。救急隊員に行きましょうと説得されたが、返した言葉が「自分で治します」だったらしい。結局、強制連行、そして入院だ。 
 話を戻して…、指は順調に治らなかった。傷口はすぐにくっついてきたが、指全体が真っ赤に腫れ上がっていておかしいということになった。なんと病院に行くまで3日間氷で冷やし続けたせいで、凍傷になっていたのだ。確かに皮膚の感覚がしびれたように鈍い。「肉が腐れ落ちて指を切断することになるかもしれません」と言われた。でも、見た感じ腐りそうにもなくて、私はしばらく様子を見てみようとのんきだったが、家族は青ざめていろいろ調べてくれ、漢方の軟膏を教えてもらったり、鍼灸院にも連れて行かれ血行促進の鍼とお灸を受けたりした。数日後、また外科医に「治るかわからない」と脅されてしまった。さすがに不安に駆られて、他の病院にも診てもらうことにした。そこで皮膚科に行った(また我が家の傾向で、東洋医学のアドバイスはすぐ求めるが皮膚科に行く考えはその時まで浮かばなかった!)。皮膚科の先生は一見してすぐに「こんなのじきに治るから心配要らないよ」と言ってくれた。外科医が「気休めだけど」と塗ってくれた薬も凍傷には効果のないものと判明した。
 その言葉通りその後は日に日に良くなって、今は新しい肉も皮も出来てきた。こんな小さな怪我だったけれど、大げさに言えばこれも医療問題の一端かなと思った。お医者さんの言葉って重要だ。人を元気にするのが医者なのだったら、人を不安に陥れたり希望を無くさせる言動はいかがなものか、と言いたくなる。ちゃんとした見立てとちゃんとした説明とちゃんとした治療がもちろん患者の望みだけれど、できればそれに加えて患者を人としてちゃんと扱ってほしいなぁと思った。そうすれば無責任な脅し文句は言えないはずだよなぁと思う。
 ただ、私の指はまだ感覚が戻っていない。まだ指切断の可能性アリだったりして…?!
【2006.09.30 Saturday 00:27】 author : chiewatabiki
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歩みの鈍い者
 前にも増してブログを更新するのが大仕事に感じ、重い腰が上がらなくなってしまった。これからは開き直って、目標「月1更新」にしよう。ひと月に一つくらいは述べたいことが出てくるだろう。毎日漆のことを考えて生活してるのだから、それすら思いつかないようでは心許ない。かといって、日々のことが逐一伝わるほど公の場に自分をさらすのは恥ずかしいし、それほど皆さんに関心を持たれているとも思えないので、「日々更新」などという高いハードルはあきらめよう!
 だいたい、作業が思うように進んでいない時には(9割方そうだが)ブログに向かう気持ちのゆとりがない。さらに、自分が情けなくて人とも接触したくないし、自分が消えて無くなってしまいたい気分になる。皆さんも仕事がうまく行かない時はやはりそんな心境になるのでしょうか?私が仕事できなさすぎで落ち込み過ぎだからでしょうか…。  そんなわけで、無理してブログを書こうとして重荷になるよりは、そんな時はできなくてもまぁいいか、と思うことにした。

 
 今年も春からうまく行かないことだらけで精神状態は滅茶苦茶だった。失敗しながら何度も工程を重ねてようやく、溜まっている上塗の第1弾に漕ぎ着けた。おかげで今は少し気持ちが軽い。私の仕事場は上塗専用の部屋がないから、上塗が頻繁にできない。それぞれの品物を中塗りまで進めてから、「上塗期」にまとめて仕上げる。それと、上塗乾燥装置もないから、一度に塗れる量が限られる。だから、順次、少量ずつ上塗第2弾・第3弾と続く予定。
 今は技術の面でも設備の面でも資金の面でも、すべて発展途上というかスタート地点で足踏みしているというか、仕事を回していけるだけの量が作れていない。椀でも匙でも数個ずつを数種類という具合だから効率が大変悪い。もっと効率の良いやり方を工夫しなくちゃなぁ。もっと多く生産できるようになりたいなぁ。 
 
 私はのろまだ。そして不器用だ。漆を始める前からわかっていたし、今も毎日痛感している。それは事実なんだ。でも仕事として漆をやりたいと思うのだから、そして作りたい物があるのだから、今の自分でがんばるしかない。漆の若手作家さんの個展や雑誌の記事を見たりすると、ついその人の年齢と漆歴何年というのが気になる。多くの人は私より何歩も先を行っており、歩みのスピードも数倍速いなぁと思う。
 私は新しい器を考案するにもパッパッと形にできず、じわじわ頭の中で育って、漠然とあった物が具体的な形になって「あ、ここはこうでこうでこうしたい」と思うまでとっても時間がかかる。個々の作業にしても、元来手先の不器用さがスゴイので、手の動かし方の要領がなかなかわからない。それでいて、遅いくせに細かい部分の形状や雰囲気に目を潰れず、気の済むまで調整したくなる。
 それで結局必ず落ち込んで「こうだから自分はダメなんだ」とダメな理由をあげつらって、余計に自分を痛めつけるみたいなのがいつものパターンだった。でも最近、全部ひっくるめて自分を受け止められつつあるような気がしてきた。何年も飽きるほど落ち込み続けたからか、こんなんじゃ精神が保たないとうすうす気付いたのか、もがきながらの作業の中で「こんな自分なんだ」と妙に納得して、ちょっと愛着すら感じるようになった。
 
 上手かろうと下手かろうと、早かろうと鈍かろうと、そんなの使う人は問うていない。目の前の物が「良いか悪いか」「好きか嫌いか」なのだ。私の側で言えば、それが納得できた物かどうかなのだ。
 もちろん技術の研鑽は良い物を作るために必要だし、早く沢山作らなければプロとしてやっていけない。ただ、私の目的は「良い物」を作ることだったんだなぁ、と今更のように気付く。上手いこと、早いことが最終目的なんじゃない。だから、のろいと嘆くこともないし、嘆く暇があったら良い物を作ることに鼓舞奮闘せねば!とじんわり思った次第なのだ。
 そのうちまた落ち込むだろうが、亀や虫けらのようにひたすら行こう。
【2006.07.25 Tuesday 18:53】 author : chiewatabiki
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スランプ その後
 前回はえらく落ち込んでいて、つらい心情を書きました。今はずいぶん楽になりました。焦ってどうしようもないところに行くと、頑張るエネルギーも切れるが、焦るエネルギーもなくなるものだ。焦りも反省も悔しさもなんとなく鈍くなって、開き直るしかなくなる。納期までに仕上げられないのが明白になったのだからお客様にその通りお知らせするしかない、正直に謝ってもっと時間をもらおうと決めて、納期に間に合わないすべてのお客様に手紙を出した。
 お客様には申し訳ないことをしてしまった。ただでさえ時間のかかる仕事に半年待つと言ってくださったのに、さらに半年延期のお願いは、さぞがっかりさせてしまったことだろう。しかも、使えるようになるのはまたその半年後…。自分としても駆け出しだから信用を裏切りたくないのに、こんな事態になって悔しい。
 でも、手紙を出そうと決めた途端に気持ちが軽くなって、事実を事実として受け止められたというか、すぐに漆に向かう気持ちが戻った。上塗の失敗が続いた2ヵ月は、塗るのが怖くなって夢でも毎日うなされて、自分がダメな人間だから上塗が上手くいかないように悪霊に操られているのでは?などと妄想した。だから、気持ちが切り替えられたら自然とやる気が出てきた。上塗は一時中断ということにしたけれど、原因解明のため試し塗りをしたり、頼まれている拭き漆の作業をしたり、また楽しんで漆にまみれている。そして、必ずまた上塗は成功するだろうし、今度はきっときれいな仕上がりにするぞと思う。

 今回、私なりの小さな壁にぶち当たって、仕事って技術を身につけることだけじゃないんだなぁとつくづく思った。技術だけとっても、失敗したときの解決も含めての技術だから、今まで私が獲得した技術はまだまだ触りの部分なのだろう。そしてそんな技術も仕事の要素の半分にすぎなくて、うまく息抜きの時間を取ることとか、悲観しない・投げやりにならないこととか、時には人に助けを求める勇気とか、お金のことをちゃんと考えて、でもお金の問題で心が潰れてはいけないとか、…まぁいろんな意味の精神力が大事なんだなぁと気付く出来事だった。独りで仕事を回して食べられることは、ほんとに難しいことなんだなぁ。漆の先輩方やいろんな職人さんがあらためてすごい人に思える。去年の展示会が終わった時点では、今年の前半で注文を全部納めて、その収入で、年の後半は飯椀・汁椀など新作に取り組んで、来年は数を作って秋に個展を…などと企んでいたが、まったく実行できそうになくなった!お金も木地と漆で無くなった。でもどんなにお金が無くなってもお酒は欠かせない(-_-) 壁を越えたらその分だけ飛躍があると期待して、全部自分の糧になっていい物を作れるようになると思って毎日塗るのみだ。
 
 
 
【2006.04.23 Sunday 20:40】 author : chiewatabiki
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春鬱々
 最近は何をやっても上手くいかず、落ち込んでいる。一番苦手な上塗が何度やっても何を塗っても失敗して、今度こそと細心の注意を払って挑むのだが、またしてもダメで、何の加減をどう間違えてこうなるのかわからないので余計に迷路をさまよっているみたいで、マイナス思考スパイラルに落ちていく。
 桜というのは毎年見え方が違うが、今年の桜はリアルに感じられなくて、ただ「あーもう咲いてしまったか」と思って焦るばかりだ。
 
 上塗の失敗原因は、やはり設備がないこと、器を量産するには不可欠の「電動回転風呂」が高くてまだ自分には買えないこと、それが一番大きい。ゴミや垂れや色ムラを防ぐにはこの機械があればだいぶ解決できるだろう。でも、設備投資する余裕がない、でも買わなければいつも失敗続きで、時間も高価な漆・材料もロスが出る。どうすべきか…こういうことを考えていくと、どんどん自分がダメな人間でこの先がんばってもダメなまま終わるようにしか思えなくなる。自分はがんばれない人間だとも思ってしまう。
 
 設備の問題は大きいが、それよりも腕と経験がないのが根本だ。最近の不調の第2の原因は、湿度調整が上手くできないこと。大変乾燥している時は、漆を乾かす際の「シメ(湿)」のかけ方が難しい。塗ってからしばらく経って霧吹きや濡れ雑巾で「風呂」の中の湿度を上げていくのだが、これが乾燥した季節だと、かなり水分を与えないとなかなか上がってくれない。湿度が上がらないと漆は乾かないので、シメをかけ続ける。それでも上がらない。これでもかと湿らしてみる。そうすると、ある時点からびっくりするくらい上がってしまって、一気に漆が乾き始める。「一気に」というのは漆にとっては良くないことで、表面が白っちゃげたり、表層だけが早く乾くために「縮む」という現象が起こる。これで徹夜した労力も一気に水の泡だ。でも、難しいけれど職人としては基本技術なのだろう。

 本当はもっと熟達してから売ったり注文を受けたりするべきだった。でも自分の状況では、一つ作って一つ売って、また材料を買って作って…という細々としたスタイルでも、やらないと止まったままだと思って始めたことだ。だから、失敗から学んで塗り直してお客さんに届けるしかないのだ。そう思って黙々と淡々と成功(上塗の)を目指すしかないのに、悲観的な気持ちに支配されて、自分なんかやる資格ないというところに考えが行ってしまう。やめるのも勝手なのだが、やめたって何もできないのだし、がんばるしかないのだろう…。
 気分転換も必要かもしれない。
【2006.04.01 Saturday 13:16】 author : chiewatabiki
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1月26日 匙作り続き
 匙を削って3日だ。3日で6本だ。何とも落ち込む。
しかしペースも上がって来つつあるし、少し上達してきた。
 この「慣れ」というのが手仕事にとってどんなに大切な要素か、匙削りをしていてつくづく思った。

 おとといは、「規格通りの正確さか、美しいラインか」の二者択一みたいなことの狭間で葛藤しながら作業していた。でも今思うと、それはちゃんちゃらおかしいくだらない二者択一だったんだなぁ。
 職人は「技術=慣れ」な訳で、それに+αがあって初めて達人の技と言える訳で、まだ同じ形を2本位しか彫ったことのない私は正確さも美しさも望めるはずもないのだった。
 100本同じ匙を作ったら少しは正確さも出てくるだろうし、正確にリズムよく削る中から、はじめて形の美しさも自然と出てくるのだろう。まだおどおどしながら削っていて「流れるライン」も何もあったものじゃない!

 やっぱり繰り返しは大切だし有意義だなぁと思った。
 私は繰り返しの単純作業が好きで、そういうタイプは漆の仲間うちでは珍しかった。繰り返しばかりだった弟子時代、私はそれが満足だったけれど、「作品」を作っている友達と比べて自分が没個性とか進歩がないように見えたりすることもあった。
 繰り返しの単純作業が好きな性質に生まれたのなら、その幸運に感謝して、繰り返し好きらしく、どの一本をとっても素敵な形と思える匙を削れるようになろう。
【2006.01.26 Thursday 23:59】 author : chiewatabiki
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1月24日 匙作り
 「華麗なる吉田屋展」会場でもらってきた風邪には本当に参った(>_<) やっと治って力が入ってきたので仕事再開。

 仕事は山積みで、どれも急ぎだ。でも先決は匙の木地削り。好きな作業だ!私はどうも平面に表すことは苦手なのだが、立体はなんか楽しいし、思いのとおりに表すのに次にどこを削るか何となく想像できる。だから、犬の絵を描くよりは粘土で犬の姿を作る方がいい。

 小刀を研ぐ。久々に小刀を研いだ。いかん。職人は刃物を使ったらすぐに研いでいつでも刃をきれいにしておかねば。反省しながら、少しさびが入ってしまった刃を研ぐ。
 研ぐ前は研ぐ時間がもったいないと面倒に思うが、研いでいる最中は心が落ち着く。静かな時間だ。これから形を生み出す、それに備える時間だからいいのかもしれない。うまく研げて刃がつくと余計気持ちが高まる。

 さて削ろう。荒削りはどんどんリズムよく削る。気持ちがいい。自転車をとばして漕いでいるみたいだ。
 少しスローダウンする。削りすぎてはだめだ!私は行き当たりばったりな性格だから、何をするにもうかつに行き過ぎてしまう。いつも行き過ぎてからあっ!失敗、やり直し!でも今日は気をつけよう。時間もないし材料費だってかかる。大事な大事な14本のコーヒースプーンの注文なんだ。

 細かい角度や柄のライン、掬うところの形、見本通りに削るのは難しい。立体だから、型にはめながら確認しながら慎重を期しても、なかなか難しい。
 逆に「見本と同じに」ということばかり気にしていると、部分しか見えなくなり、全体の形が流れるように美しくならない。やっぱり、せっかく機械じゃなく手彫りでの注文生産なんだから、削る手のリズムや勢いを大事にして有機的なラインを作りたい。
 でも、お客さんは私が出品した見本を見て「これを」と注文して下さった。だから見本と同じ形、角度、太さ、長さを再現するのが大切だ。だけれど手で彫る場合、例えば6本が寸分違わぬ形に仕上がるのと、それぞれは微妙な差異があるけれど、一本一本流れのあるきれいなラインに仕上がるのと、どちらがスプーンとしてよいのだろうか?
 削りながらこんな事をずうっと考えていた。
 今日のところの結論。全く同じ形で量産するのは難しい。それよりは、その一本の形のバランスを大切に、流れるラインになるように心掛けようと思った。
 
 私は匙の柄を削るとき、いつも人間の腕とか動物の前脚を思いながら削る。反ったり膨らんだり、ゆるーいS字の組み合わせだ。あまりリアルに真似すると生々しくてよくないが。
 そして結局、私自身の腕の肉付きに何となく似てしまう。
【2006.01.25 Wednesday 00:18】 author : chiewatabiki
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1月16日
 正直に言うと、まだブログというものが解っていないのである。
 解るというものでもないのだろうけれど、自分として、ブログの位置づけがまだできていないのです。それで何を書けばよいのか、誰に向けて?、日記的につれづれに?、など迷いながらの船出となりました。日々漆を触っていれば感じることもたくさんありますし、少しでも漆文化復活を願う気持ちから考えていることもあります。だから、文にしたためたい動機も材料もあるにはあるのですが。ただ、密室で書いてもたちどころにパブリックな存在となる「日記」=ブログ、というシステムに戸惑ってしまいます。今日は日記的にやってみましょう…。

 先日上塗りした朱の銘々皿…、失敗してしまった(T_T)
作業しながら自分自身が酔いしれてしまうほど朱の魅力は大きくて、上塗りした翌日「いろいろな朱」と題して書いてみた。しかしそんな場合ではなかった!
 顔料(日華朱=銀朱の赤口)が沈んで刷毛目が黒ずんでムラになったのだ。「ボケる」と言うらしい。なんで?!時間をかけて練ったし、薄めに塗ったのに!なんでボケたんだ!なんで「練り」ひとつでこんなに苦しむんだ!
 
 やっぱり電動の練り機を買いたいなぁ。今練り機を買うと、最低限の材料かつ肝心要の漆が買えなくなるから、もちろん断念だ。(※注 後日、朱の練り方を習って、機械では顔料の粒子が漆とうまく合わさらないことを知る。それ以来、手で練ることになった。)今どき数ものを作る人で手で練っている人はいるのだろうか?だいたい、道具にしても材料にしても漆はお金がかかりすぎだ!道具の需要も少ないし、道具を作る職人さんも高齢化しているし、高いのも無理はないのだけど。
 でも、今は電動の道具を一つも持っていなくて苦労しているが、何でも手動でやるとよく失敗するから、その分、漆の性質がよく解って工夫せざるを得なくなって、勉強になるのだ。それは飲み込みの遅い私にとって一番の教科書なんだ。まさに日々是修業なのだ!
 それにしても、時は金なりだし漆も高価なので(日本産100g1万円以上(>_<))もう失敗は許されない。完璧を期して、練ります


追記
その後も朱の上塗には苦闘していますが、電動練り機が必ずしも手練りより良いわけではないということを聞き、今も手で丹念に練る日々を過ごしております。ほかの方はどうか分かりませんが、朱は本当に難しいと感じます。早く朱を自在に塗りこなせるようになりたいものです。
【2006.01.16 Monday 22:25】 author : chiewatabiki
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