漆工 綿引千絵の奮闘記
 
<< 2007年正月某日 | main | 「うるしやLA」の展覧会 >>
「松田権六の世界」展へぜひ!
 昨日「新・日曜美術館」でも紹介されたが、今、東京国立近代美術館工芸館で松田権六展をやっている。近所の人が招待券をくれたのもあって、私は張り切って初日に出掛けた。いやぁ、「ほんとあなたは漆の神様だよ!」と思いながら、うっとりと見た。見て楽しかった。
 
 私は蒔絵の専門技法を知らないから、そのすごさはわからない。私がまず感じたすごさは、これだけの質のものをこんなに沢山作れるのか!ということだ。松田権六のものばかり一堂に会した展覧会は初めて見たから、会場全体から‘権六エネルギー’が襲うようにやってきて、どんどん涌いてきてどんどん作れる、並外れた「精力」をすごく感じた。実際は生みの苦しみは当然あるのだろうが。
 多作の作家でも、似たような作品ばかりだったり、それほど力を費やしてないものが混じっていたり、ということもありうる。権六はただ多いのでなく、もっと、全体から漲るエネルギーを感じた。小品から大作まで、いや製図の段階から、丁寧に心がこもった印象を受ける。
 
 またどの作品をとっても、楽しさや可愛さがどこかに必ず漂っているところが私は好きだ。輪島漆芸研修所の教室に権六さまの教えとして「芸は人なり」の書が掲げられていたのを覚えているが、権六作品が素敵なのはご本人が真摯でかつ軽快でお茶目な人だったからだろう。想像だが。きっと可愛い人だったのだろう。なんか作品が可愛い、可愛げのある芸術品なのだ。
 近代以降の漆芸作品で素晴らしいものは多くあるが、抱く感想はどちらかというと「きれい」と「すごい」である気がする。権六作品はもちろんきれいであり、神業と言えるほどすごくもあるのだが、それプラスいつも「楽しい・可愛い」感が共にある。光琳・光悦ほど奇抜じゃない、静かな楽しさみたいな風だ。だから、漆芸品独特の人を寄せ付けない感じがしなくて、「これ欲しいなぁ」と思わず言いたくなるような親しさがある。それは、松田権六が作品の構想・作業を楽しんでいた表れだし、更に想像すれば、作品を自己表現のための手段としてだけでなく、器や道具として「楽しむ物」と捉えていたからではないか。蒔絵で素晴らしく表現することが最終地点でなく、「こんな場に合うこんな物を作ろう」という目的で、そのワクワク感に動かされて作るから、できた物が楽しいのかな、と思う。
 平卓や棚も素晴らしかったが、食器の梅文や華文の可愛さとか、棗に描かれた外国絵本に挿絵してありそうな帆船(棗)の不思議な雰囲気、それから、全ての作品の色合いや図案の配置や形のバランスが見ていて飽きなかった。

 あと一つ、なんで権六に惹かれるのかと考えたら、テレビでも言っていたけれど、やはり「物に学ぶ姿勢」なのかなと思った。松田権六は古い物にも新しい物にも好奇心旺盛で、いいと思えば飛びつく人だったと聞くが、漆のあらゆる技法・文化に対しても、柔軟で「学ぶ姿勢」の人だった。過去に廃れた技法を研究したり、漆器の各産地の技法にも詳しかったし、派閥やら系統やらにとらわれないで何でも知ろうとしたみたいだ。
 だからなのか、私から見て、権六作品は「漆芸」ではあっても、漆文化の中の「漆器」なんだ、これもひとつの(最高峰の)「ぬりもの」なんだ、と思える雰囲気がある。雑器があって、その先にハレの漆器があって、その延長線上に芸術品たる漆芸作品がある、と思えるのだ。それはなんだか安心することだ。だからその作品は心地よい。なぜなら、自分と他を含めたさまざまな物のあり方を肯定したところにある作品だからだ。
 ものごとを極める人なら皆そういう姿勢をとりそうなものだが、実はそれができる人は稀かもしれない。権六が柔軟でポジティブな見方ができたのは、彼の生まれた明治期の北陸というのが、漆器を作るのも使うのも盛んで、かつ、漆芸を漆工から区別することがまだ新しく、両者の間に「溝」が横たわるまでにはなっていなかったことも背景にはある。その後徐々に偏見が定着してしまったのかもしれない。
 漆の世界だけじゃないと思うが、自分と違う道をたどる人を否定する場面をたくさん目にしてきて、一時は気持ちが滅入ってしまった。芸術として漆をする人は商品を作る職人をけなす。地場産業の漆器屋さんは漆芸家を「わかってない」とこきおろす。漆は表現の多様さ、幅広い利用法が特長なのに、漆に携わる人がお互いを否定し合ってどうするんだ、と思ってしまう。どのジャンルでも秀作と駄作はあるものだけれど、他のジャンル自体を認めないような議論を耳にしたときは、嘘かと思ったし虚しかった。漆を文化として考えれば、芸術品も器もオブジェも、漆の良さがいろんな人の手によって、いろんな風に引き出されることがプラスだし、相手のあらを探すよりは相手をよく知ることが大切なのだろうと思う。相手についての無知が悪口を生むものですよね。
 
 松田権六の偉大さから離れてしまった。でも彼がそういう「他者肯定」の価値観に立っていたことも「神様」たる所以の大本かもしれない。だからスゴイ!
 とにかく、エネルギー、技術、センス、考え方、どれも触れられてよかったと思ったこの展覧会、新年にふさわしいし、興味があればいかがでしょうか。大人間国宝を権六と呼び捨てにしてゴメンナサイ。


【2007.01.08 Monday 14:51】 author : chiewatabiki
| 展覧会 | comments(2) | trackbacks(1) | - | - |
この記事に関するコメント
遅ればせながら今日17日(土曜)行って参りました。
人の多さに少しびっくりしました。
Chieさんのおっしゃる通り、私もこれ同じ人の作品? と思うことしきりで、そのパワーに脱帽です。また、用途、作品依頼要求に応じて技を存分に見せているようなのもあれば、さりげない遊び心満載のものもありで楽しめました。権六様のさりげない作品の中に我々が日常使う漆器のヒントがあると思いました。特に、絵(蒔絵なのか漆絵なのかわかりませんが)に白漆が多用されているように思いましたが、こういう風に使うとモダンな感じがするな、と思いました。今まで権六様の作品というと精巧な蒔絵、螺鈿のものしか知りませんでしたが、割と普通(そう見える)のものを見れて良かったです。で、そういう蒔絵を見ていたら、蒔絵もいいなー、と改めて思いました。取扱商品に蒔絵を増やしたいという気持ちになりました。

でもやっぱり見たい展覧会は早めに行かないとじっくり見れませんね。Chieさん、また展示会見に行く時は良かったら声掛けて下さい。
| うるしやLA 西田 | 2007/02/17 6:56 PM |
私もいつもは最終日近くに駆け込んで後悔することばかりです!権六展は早く行けたので、全館でも10人そこそこの観覧者で、逆に「権六人気ないのか?」と思ってしまうほどでした。ラッキーでした。

権六様の本当のすごさではないかもしれないけれど、蒔絵を家庭の漆器にも取り入れたい気持ちにさせてくれるのがこの展覧会の良さの一つだったと、私も思いました。
私に絵心がないせいか、食卓で使う漆器にちょっとしたいい感じの蒔絵をつけたいなぁ、といつも憧れています。前回私が催した漆展では、友人数人に声をかけて「生活の中にある蒔絵・沈金」を出展してもらいました。漆絵を描いた皿や沈金の小さな壁掛け、沈金の箸などです。
幸い、私には作風が好きと思える友人が蒔絵と沈金にいるので、「あの人の蒔絵が活きる器の形ってどんなんかな」と想像しています。今は無地のぬりものの形一つを決めるのにも苦悩するので、まだ先のことかもしれませんが、かならず「ちょっとハレ」的な加飾のぬりものを作りたいです。

白漆、私ももっと取り入れたいです。以前友人と話したのですが、白漆を洋服のベージュの生地と捉えれば、形次第、組み合わせ次第で、かわいく素敵に作れそうですよね。
金と白漆、こげ茶と白漆、黄口(柿色みたいな洗い朱)と白漆、と遊びで試したりしているのですが、この配色を実際の商品でどう使うか…生かすも殺すもやはり形の問題なんだな、と思っているところです。配色のセンス、問われますね。がんばります。
| chie | 2007/02/18 10:29 AM |
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://chie.watabiki.jp/trackback/468181
トラックバック
「人間国宝 松田権六の世界」に行ってきました。
東京国立近代美術館工芸館で現在開催されています。松田権六さんは、中尊寺金色堂の保存修復などに従事し、伝統的な技法だけでなく自ら様々な意匠や様式・技法を用いて創作し漆芸を発展させた人物です。特に、鳥の表情や飛翔の捉え方がすばらしく、作品から生命感や躍動
| 株の旅人 | 2007/01/29 6:27 PM |