漆工 綿引千絵の奮闘記
 
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アイヌの漆器?!
 図書館でふと『別冊太陽 先住民アイヌ民族』という本が目にとまった。アイヌのあの独特な文様や潔い色づかいは前からかっこいいと思っていたので借りてきた。パラパラとめくると、あれっ?漆器の写真が!
 
 アイヌの文化には漠然と憧れていた。でも怠慢から、詳しく勉強したことはない。まして「アイヌと漆」というキーワードに限定すると、まるで no idea だ。とはいえ、なんとなく、イメージとして、アイヌは縄文と同じように狩猟採集の生活スタイルだから文化も似ている→しかも、高校日本史レベルの知識では「弥生時代に北海道だけは続・縄文文化が展開された」と記憶している→縄文には豊かな漆文化が生まれたのだから、北海道の文化にも漆が伝わっているだろう、と勝手な三段論法で想像していた。
 しかし結論からすると、アイヌ人は漆塗りをしないそうだ。ちょっと残念な気持ちになった。アイヌは木の道具をたくさん作り出し自然の中で暮らす人たちだから、木に漆を塗っていそうなものなのに。アイヌが使っている漆器というのは和人が塗ったもので、本州から持ち込まれたのだという。
 でもうれしく感じたのは、「先祖代々宝物として大切に受け継がれ、儀礼の際に用いられた」(同書p52)ことだ。写真に映っているのも儀礼の光景で、使われている漆器は、輪島塗などでもよく見る銘々膳、その上に抹茶碗を載せる天目台、だが台には陶器ではなく漆の汁椀が載せられている。仏教や茶道の文化から生まれた和の漆器をそのままそっくり、アイヌ独自のスタイルで組み合わせて、宗教用具として使っている!びっくりだ。
 
 漆というのはその艶や丈夫さやかぶれることなど、いろいろな点で神秘的な威力に満ちているので、日本でも縄文時代、漆工はそもそもが宗教的意味合いの中で発達した。 だからアイヌが儀礼に用いることも自然に思える。でも、とてもユニークで素敵なことに、彼らは自分たちが漆塗りの技術を持たないのに、よその文化である漆器をアイヌ民族の根幹である儀礼の中心に据えて、大切にしているのだ。舶来品を貴ぶのは当たり前かもしれないが、私にはアイヌが柔軟でオープンマインドな人たちなんじゃないかと感じられた。自分と他者を区別して自分を守るとか、自分に箔を付けるというセコい考えがなく、もっとおおらかな人たちなのかもしれない。アイヌが北方の広い広い交易文化圏の一部であることを考えれば、物も人もダイナミックに流通するのが当たり前な世界なのだろう。日本人の島国的、画一的あるいは農耕民族的な価値観とはまた違う精神を持っているのだろう。なんだか、アイヌの人と出会いたくなりますね。


 アイヌ民族博物館のホームページにこんな説明文を見つけた。↓
 
 「アイヌは交易の民であるともいわれます。アイヌの物質文化には周辺諸民族の異なる文化的要素を認めることができますが、本州からもたらされた杯、椀、天目台、行器、盥、片口、湯桶などの漆器もそのひとつです。
 アイヌにとって漆器は、それ自体が神(イオイペカムイ[器の神])であり、お神酒などを入れる重要な儀礼具であると同時に、富と権威を示す宝物でもありました。アイヌは漆器を漁猟で得た毛皮や海産物と交換したり、漁場労働の報酬として手に入れましたから、漆器を多くもつことは漁猟に長けていることの証でもありました。私たちが床の間に自慢の壺を飾るのと同じように、豊かなアイヌたちは上座のイヨイキリ[宝物置き場]に漆器をうずたかく積み重ねました。

 アイヌには漆器自体は伝わりましたが、漆塗りの技術は伝わらなかったといわれています。北海道にもヤマウルシなど漆の木は自生していますが、自らが加工しなくても本州から大量に漆製品がもたらされたことから、その必要が無かったとも考えられます。」 (http://www.ainu-museum.or.jp/02theme/sikki.html) 
 
 そういえば、輪島の塗師屋さんは北海道の顧客が昔から多いそうだ。それは北前船に漆器を積んで港港で売ったからだ。でもその話を聞いた私は、てっきり「北海道の客」=松前藩とか明治期に移り住んだ和人、だと思っていた。アイヌは全く思いもよらなかった。もしも江戸や明治・大正時代に輪島の漆器がアイヌに買われていたのなら、輪島で学んだ私さえもアイヌに繋がっている気がして、感動してしまう。アイヌは蒔絵などが施された美しい漆器を好んだらしい。



【2006.08.03 Thursday 19:34】 author : chiewatabiki
| 漆コラム | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
この記事に関するコメント
またもやお久しぶり(実は時々こっそり覗いてる)。いきなりですがすっごい偶然!私、先週北海道に旅行に行ってきてさ、まさにそのアイヌ博物館も行ったのよ!!びっくりしちゃった。
そうなのよね、アイヌの人たちって日本の絹織物を輸入して祭礼用の衣類にしていたり、かと思うとアリューシャン列島の方の人たちと同じ狩猟用の狼帽子みたいのを持っていたり、視野が広いというかフレキシブル。あの独特のケルトっぽい文様も素敵よね〜。
私が仕入れたにわか知識によると、袖とか裾に描かれるボーダー状の文様はそこから悪魔が入ってこないようにっていう魔よけの意味があるんだって。漆器のお椀に魔よけ文様、いかがでしょう。私は間違いなくメロメロだわ。
| きょうこ | 2006/08/18 11:26 PM |
時々こっそり覗いてくれてありがとう!

いやぁ、アイヌネタ、奇遇ですね。アイヌ民族博物館のことを知って、良さそうなところだなぁと思っていたら、ちょうど行ってきたとは!

魔よけの文様って、迷路みたいな四角いのと唐草みたいな渦巻きが合わさったような、あの不思議な文様ですか?私は、アイヌ文様の所々つんつんとした感じが好きです。
魔よけというと、文化によっては人の怒りの表情などを象った「憤怒系」もあるけれど、アイヌの文様は「聖系」って感じがしますね。神聖なあまり悪魔も退散するでしょう、と思わせるような神秘的な表現ですよね。
| chie | 2006/08/20 10:41 AM |
昨日は雨降り、16度で朝はストーブをつけてしまいました。
あさってからまたおてんと様をおがめそうです。

もし、誤解があったらゴメンナサイです…。
私が参考にしたのは『十勝アイヌ語知名解』という本なのですが「これを作るところ」の“これ”が漆器をさすのかお酒をさすのかは?なんです。
アイヌの人々が作ったものだという確証のある遺品は現在のところまだ見つかってないようですね。
北海道は縄文→続縄文→オホーツク・擦文(7c〜13c)→アイヌ文化期となっていますが、'00年に北海道の旧南茅部町で約9000年前の漆製品が出土したのはchieさんもご存知ですよね。
私もこの事を知ってから世界の漆文化は北海道から始まったのではないか!!と思った一人なんでですが(なんて安直!)、恵庭市のカリンバ遺跡からは縄文後期の漆製品や漆精製に関する
遺品が出ているそうです。
北海道は広いですから続縄文・オ・擦文文化期の漆製品が今後
出土するような事があれば、漆塗りの技術がアイヌの人達にも
受け継がれていた可能性もでてくるんじゃないでしょうか…。

漆塗りのイクパスイなんか見るたびにアイヌ文化のなかにもその技術があったことを夢みてしまいます。

| リグンテキ | 2007/06/08 9:00 PM |
北海道の漆といえば縄文。その流れでアイヌにも漆文化が継承された、と思いたい気持ちですが、現在の研究ではアイヌは塗っていなかったようですよね。不思議なくらいですね。

漆の起源ですが、‘北海道説’ロマンですね〜。先日聞きに行った漆の講演では、やはり南茅部の「垣の島B遺跡」について見解が分かれているなぁと思いました。
ある方は「証拠からすれば漆文化は日本が発祥と思いたい、1万年以上前の漆も出てくる」と言いましたが、別の学者さんは「垣の島Bの物質はまだ漆と言いきれない、今は中国から伝わった説も捨てられない」と慎重でした。
なんとも惜しまれるのは問題となっている南茅部の遺物が火事で焼失してしまったことですよね。その意味でも、それより時代がさかのぼる発見が待ち遠しいですね。
| chie | 2007/06/09 10:59 AM |
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