富春館、よかったです |
九州から帰ってきました。 富春館での催し「大野川ヒメと山彦と文人の集い」は、台風が接近していたので少し残念でしたが、参加者にはとても楽しい1週間となりました。 ご来場者も楽しんでいただけたのならよいのですが‥‥。 このタイトルの意味、一見わかりにくいのですが、富春館の歴史、九重で生まれて流れてくるきれいな大野川と周辺の自然―、そういったことを体感すると、今回の催しの深い意図がわかってきて、奇跡のように今に息づく富春館をもっとみなさまにも知っていただきたいなぁ、知ることができて幸せだったなぁと思うのです。 出発前にはアクセサリーの話をしながら、画像が間に合わずアップできなかったのですが、会期中にも結局バタバタして、今回挑戦した、ちょっとボリュームや装飾のあるアクセサリーたちを撮影しそびれてしまいました。 お陰様でそれらのほとんどはお嫁に行きましたので、持ち主になってくださった方の生活で登場の機会があって、その方や周りの方に見ていただければよい、ということにしましょう。 そのかわり、1週間売り場にもなり、私たち作家の生活の場にもなった「富春館」は撮影してきましたので、ご紹介しますね。 撮っておかなきゃもったいない、と思うほどのお屋敷だったワケです! 大分市街から車で40分くらいの南(山側)に、戸次(へつぎ)という町があります。中世からその地域の有力者だった帆足本家が富春館の主です。 おそらく前の時代から大きくなっておられた帆足家は、江戸時代に酒造を始められ、今も酒蔵が残っています。 建て物はL字形で、長ーい。正面に見えるのが、大事な大事な井戸。 今回は、会期中に水神にささげる祭りが行われ、帆足家と戸次にとって命である水について皆で考えました。 正面の門をくぐると母屋があります。 右の入り口は家人用。左は高貴な人専用の玄関。家の中も右と左で一段高さが違っています。 これがその殿様用(?)の玄関。でも今はギャラリー富春館の入り口で、平民も使用させてもらえます。 この「富春館」の額に限らず、このお家には山ほどの額、書、屏風などが眠っています。 なぜなら、帆足本家は豊後に訪れた多くの文人が滞在し交流する文化サロンとして機能していたからです。酒を酌み交わした後、出会いの喜びに一筆書いて(描いて)いたのでしょうか…想像されますね。 玄関の横には庭園に続く道が。 この門の向こうが、すてきなお庭です。 上手く写せなかったのですが、木と石と燈籠がふんだんに配置され、よく手入れされたお庭でした。 庭の奥へ進むと、母屋と渡り廊下でつながった離れがあります。 実はこちらで寝起きしていたんです。 晩は、高校生の合宿みたいに、車座になってスーパーのお惣菜をつつき合っていました。そして独身男性みたいに、惣菜はプラスチック容器に入ったまま、それを肴に缶ビールを飲んでいました。もちろん夜は雑魚寝(布団はアリ)。 ‥‥こんな贅沢な文人の集ったお屋敷で! 正門の横には、通りに面して洋館もあります。 奥に見える背の高いのが洋館で、現在はレストランになっています。 これは裏から写したショットです。 庭園の奥で、石塀にひっそりと立て掛けられ、草に埋もれている塊を見つけました。 草をよけて見てみると、獅子に牡丹!昔の鬼瓦のようです。 よく見ると、手前の獅子が吽形、奥の笑っているみたいな獅子が阿形。 細工が細かくて、雨に濡れてきれいでした。 石や灯籠のほかにこんなのも置かれていました。 見下ろす二宮金次郎は初めてかも。 ほかにも絵になる物や場所がいっぱいでしたが、ささっと撮れたのはこんなところです。 ね、いいでしょう? 古い建物なのに、細部や裏まで状態がよいのにも驚きました。 何かを感じるこの空間に短期間でも居させてもらえたのは、ものつくり業にもきっといい影響があると思います。 省きますが、ここで出会った人たちが本当に素晴らしい方ばかりで、必ず私の糧になると思います。 ★富春館について、詳しくはこちらをお読みください。→ 富春館サイト さぁ、次は「みんアト」! 9月30日、目黒の「スタジオ目黒ハウス」にみなさんいらしてください! 目黒ハウスも古民家なんです。東京の真ん中の屋敷も素敵ですよー。 みんアト予告は明日以降の投稿で。ただ、伯兆さんとのコラボは相当素敵なのがいくつも出ます、とだけ、もったいぶって言っておきます! |
【2012.09.20 Thursday 18:07】 author : chiewatabiki
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