ぬりものを修理に出すタイミング |
以前、「漆器の扱いについて」という記事を書いたが、今日はその続編のような内容、「使っていってそれでどうするの?」という部分をお話したいと思う。 つまり、いつ修理に出すのか、という問題だ。どこまで使ってどうなったら直したほうがいいのか、どのくらいなら使い続けていいのか、どうなったら直せないのか、などなどの問題。 これについて、私は漆器使用歴もまだ数年だし、あらゆる状態の漆器を見てきたとも言えないので、薄っぺらい私が語れることは本当はあまりない。でも、修理の仕事でついこの前苦い経験をして、これはみなさまにもお知らせすべきかも、と思ったので一度まとめることにした。 高い所から落として上縁が欠けた椀。わかりやすく木地が見えているから要修理。 まず、みなさまは、漆器は塗りなおしながら長い年月使い続けられるもの、ということをご存知だろうか?最近は「ほぼ間違いなく、買ったところで塗りなおしてもらえる」と周知徹底されてきているから、修理に出す方も増えているかもしれない。 そこで安心して購入し、快適に使っていって、さて困るのが、「この傷は修理に出す程だろうか」と判断が付かないことだ。使っていれば、どんなに丈夫なぬりものでも細かい傷は徐々に増える。落として欠けることもある。そのほか凹んだり、艶がなくなったり、最悪真っ二つに割れたり…。 大きな損傷があったら修理する決心が付きやすいが、傷が小さいほど、よくわからないものだ。修理費が安ければすぐ直すのだけれど、いくらか判らないから余計行動に移せなくなる。 私は次のことを頭の片隅に置いていただけたらよいのでは、と思う。 木地が見えたらまず使うのをやめる。 たいていの漆器はボディに木が使われている。塗られている漆の層は、木地→下地→中塗→上塗だ。中塗は上塗のような黒とか赤が多いから、剥げても目立たない。下地は黒くてざらっとした質感の、パテの層だと思ってもらえればいい。下地や中塗の施され方によって、早く木地が見えてしまうか、ある程度持ちこたえるか決まってくる。 木地は木の白っぽい色か、漆の染み込んだ茶色っぽい色だ。これが顔を出すと、木地が直接料理の塩分や油分を吸い込んでしまい、劣化の原因になる。木地が相当に痛むと、漆器の命は終わってしまう。だから、木地らしきものが見えたら、修理に出す勇気がまだなくても、とりあえず使用を中止しよう。 茶色っぽく顔を出しているのが木地。かすかに木目が判別できる。 下地の黒っぽい層が見えた時点で直しに出せれば、使い手としては優等生なのかもしれない。が、椀の上縁とか匙の掬う部分は漆が擦り切れやすいので、下地が出ることも珍しくない。その度に直していたら、漆器はメンテナンス費が高くつくということになってしまう。理想ではないけれど、下地が少しくらい見えていても、私は目をつぶっていいと思う。 下地の出たスプーン。この状態で数年もっているので、まだ塗りなおさない。 長年放置しない。 使用中止した後、少し迷ったり、修理してくれる工房を探したりする時間があるかもしれない。その程度ならまったく問題ないのだが、私が修理させていただいた器は、どうしようと思ってから30年ほど仕舞われていた物もいくつかあった。これはよくない。 そして時が経つにつれて、食器棚から、もっと見る頻度の低い天袋へと移動され、記憶からも消されて、次に出されたときには、乾燥によって木地がバリバリに割れていてショックを受ける。放置している間にも漆器は変化するのだ。漆の変化は少ないが、木地は湿度によって大きく変化する。 せめて1年以内、百歩譲って数年以内には、修理に出していただきたい。新しく買うよりも安く、新品のように生まれ変わる。 早く手を打てば、修理費も安い。 上に述べたように、痛み具合とそれに比例する修理費は、木地の状態がキーポイントだと言える。 漆は、塩分と油分が嫌いだ。その二つの成分があると塗っても乾かないか、乾きが遅いか、乾いても使うと剥がれてしまったりする。木地が出てからも長く使い続ければ、塩と油が木の奥まで浸透して、漆が乗らなくなる。 また、木地は乾燥が苦手だが、嫌いなのは天袋だけではない。電子レンジと食器洗い乾燥機も乾燥を引き起こすので、これに入れると木の細胞がズタズタになる。その損傷の受け方は、天袋の乾燥よりもたちが悪い。 塩分、油分、乾燥この三大悪にたくさん晒されると、通り一遍の修理方法では上手くいかず、職人は手を焼くことになるので、工賃もかさむ。できるだけ損傷の少ない状態で安く直し、長く使い続けたいものだ。 費用は… 職人さん、工房によってかなり幅があると思うので、軽率に語ることはできないが、新品に近い額だとしたら誰も直さなくなり、「直せる」という漆の特長に反してしまうので、それよりも低いのは確かだと思う。逆に、新品と同じくらい掛かってしまう修理は、直す甲斐のないほど損傷を受けている場合なのかもしれない。ある有名漆器店のホームページには新品の30%〜70%と説明されてあり、私の感覚でも妥当のように思うので、ひとつの目安として覚えておかれてはいかがだろう? 参考にならないかもしれないが、私の場合も記しておこう。私は、直しは地元の方中心に、自分の制作の傍ら、ゆっくり作業させてもらうのを条件として受けるので、割と良心的な値段だと思う。無地・蓋ナシ、無傷の汁椀で、上塗のみを塗りなおす場合は2,000円(日本産漆使用)。ただ、まったく傷がない状態で持ち込まれる直し物は少ないので、汁椀は3,000円〜5,000円となるケースが多い。 少しは修理に出す不安が解消されただろうか?上に書いたこととは違う点でお困りの方もいらっしゃるかもしれない。コメント欄かメールでご相談いただければ、わかる範囲でお答えいたします。 info@watabiki.jp 自分の失敗談を披露すると信用を落とす危険もあるので、いつもは見栄を張ってなるべくいいこと、前向きなことを書こうとしてしまう。でもみなさまの参考にもなりそうな経験があったので書いてみる。 修理を始めてすぐの頃、日常的に食器乾燥機に入れられていた椀が持ち込まれた。一見して、木地全体に無数の亀裂が入っているのがわかった。それでも、よく漆を吸わせて丁寧に下地すれば何とかなると思ってお受けした。 しかし、塗り上がったものをお客様が使うと、まもなく木地に入っていた亀裂が漆の層を貫き、塗面まで傷だらけになってしまった。もう、木の細胞が壊れきってしまったものは、いくら塗ってもカバーできないのであった。もちろん修理費をお返しして、損傷具合を最初に見極められなかったことをお詫びした。 もう一つ、つい先日なのだが、以前修理した椀が戻ってきた。まだ数回しか使っていないのに、漆が剥がれてきたというのだ。青ざめた。お預かりしたとき木地が見えていて、長年の乾燥で木地が相当弱っているとは思った。ただこれも、考えられる工程を全部踏んで丁寧に塗れば蘇ると判断してしまった。 剥がれてしまった原因はまだ考えている途中だが、この椀はお客様ご本人が使っていたものではなく、実家に長年仕舞われていたものだった。いつ頃、どのくらい使い込まれたのか、使っている時から木地が出ていたのか、仕舞ってあったことで劣化したのか、さっぱりわからないとのお話だった。漆の表面はまだ艶やかだったので、長年の乾燥が主な損傷原因かもしれない。こちらも全額返金させていただいた。 二つのケースは、もしかしたら、腕のある職人さんなら見極めも作業ももっと的確で、直せたものなのかもしれない。ただ、すべてのぬりものが、どんな状態でも直せるとは限らない、ということは痛感した。 今まで、ぬりものは直して使えるのだと皆に伝えたい、何でも直せる、何でもお引き受けしたい、という気持ちだけで取り組んでいた自分を反省した。もっと研鑽して、技術を身に付けなければいけない。 こういうこともあるので、みなさまがお使いのぬりものが痛んだときには、早めに対処していただき、どうぞ長くお楽しみください。 |
【2009.07.12 Sunday 10:21】 author : chiewatabiki
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