漆工 綿引千絵の奮闘記
 
はじめて自分で「漆くろめ」!
5月24日 晴れ 気温30℃ 湿度20%(湿度計故障かも)

こんな日が漆をくろめるのに最適らしいので、前日に決行を思い立ちました。

「くろめる」とは、漆を精製することで、生漆の温度を上げながら撹拌して水分を飛ばし、上塗に適した状態にすることです。 
下地には、精製していない生漆(きうるし)を使えますが、中塗と上塗には、粘度、乾く速度、透明度の点で、くろめた漆が必要なのです。

大量にくろめる漆屋さんなどは、機械で熱を加えることも多いのですが、個人の作り手さんはお日さまの力を借りて、「天日くろめ」をすることが多いようです。
私は、この天日くろめを習いたくて、ツテを尋ねたけれど機会がなくて5年以上…(実際は忘れたふりして保留)。去年、伏見眞樹さんの漆くろめに参加させていただき、はじめて教わることができました。
秋に漆が届いたら自分でしてみようと思いながら、秋になったら忙しさにかまけて、くろめが可能な暖かい季節は過ぎ…今年になってしまいました。

思い立ったが吉日!
よくわからなくて不安だけど、まずはやってみよう!

実は道具も揃えていなかったのですが、「やりたい!」という衝動だけを頼りにタイミングを逃さず生きてきた私、間に合わせの道具でムリヤリ決行です。
くろめ用の大きな舟も鉢もない、混ぜる櫂もない!
そこで、塗師の持ち物、ヘラ箱を使ってしまいました。
混ぜるのも下地用のヘラの新しいのを、塗るときみたいに薄く削らないで、先だけ少し角度をつけて削りました。

意外にも、ヘラ箱は縁が垂直なので漆がこぼれることもなく、ヘラもよくフィットして、かなり快適に作業できました。
まぁ、ままごとのような量(200g)なので扱いやすいはずです。最低でも、1kgに対応できる鉢か桶をゲットしなくては…。


初めはこんな色。
この漆は「日本文化財漆協会」から購入した、浄法寺産の盛漆。
これは意外と茶色いです。採取後から今までに、少し空気に触れてしまったせいかもしれません。
伏見工房でくろめたのは、初めもっと白かった…。

以下、15分おきに撮影。色の変化、ご覧ください。




これがくろめ終わりの状態。

ある時点から、急に黒くなるでしょう!
黒くなり始めたら、なんだか焦りました。

今回は少量なので、あっけなく完了してしまいました。
正直、あのまったりとした、眠くなりながらひたすら手だけ動かす、あのちょっと苦しい時間を過ごしたかったのに…。


出来上がった漆は、伏見さんを真似してガラスボールに入れました。
おぉ、愛おしい色よ!

水分が飛んだので、元の量の85%になりました。
この率が高ければ高いほど、元々の水分が少ないということで、使える分が多い訳で、「歩留まりが良い」ということだそうです。
平均的には2割ほど減るのが普通のようです。

ただ、今回の85%に関しては、漆が良質という以上に、まだくろまり方が足りず、本当は水分が残ってしまっている可能性もあります。そうだとすると、塗ったときにきれいにいかないので、よくないことです。
ほんの少しの漆をガラス板に付けて見極めをしたときは、濁りがなくなって、すっきり透明に(=くろまった証拠)見えたのですが…気のせいかもしれず、まだ不安です。
後日また確認してみるつもりです。


ちょっとしたオチです。
5か月近いブランクを経て久々に漆の作業をした私は、翌日かぶれてしまいました。痒さはあまりないのですが、顔が腫れ、あまりのだるさと睡魔に寝込む始末!
漆歴14年なんて、まだまだヒヨッコだと思い知らされました!(否、年数でなく、私の歩み方がヒヨッコか!)
厳密には、先日のワークショップがブランク後はじめての漆作業で、そのときもしっかりかぶれたのですが、またもや漆の威力に完敗でした。



最後に、悪戦苦闘する私にも、珍しいはずの漆にも関心を示さず、日課(お庭でまったり)に専念する愛猫サリ。
ブログでは初お目見えかな。2歳になりました。
今度は妹ネコのトコもご紹介しますね。


【2013.05.26 Sunday 22:46】 author : chiewatabiki
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修理の椀
 私は自分の制作のほかに、直しの仕事も少しずつ受けている。以前「時を継ぐ仕事 修理」という記事で、修理にまつわる話や修理に対する思いを書いた。興味がありましたらご覧ください。

 昨年させていただいた修理品に、ひとつ面白い椀があった。これもまた、私の知らない時代や土地の雰囲気を教えてくれるものだったので、みなさまにもご紹介したい。

 5客組、錆絵と蒔絵の吸物椀(正式な呼び名はわからない)。



変わっているでしょう?ご依頼主様は会津のものらしいとおっしゃっていた。外側は錆絵だろう。サビとは砥の粉と漆を混ぜた下地材で、全国的に広く使われる。その下地材で椀の表面に絵を描いているのだ。上塗漆ではなく下地漆で仕上げているので渋い色合いだが、よく見ると、立体的に盛り上がった錆絵は梅の花や枝が生き生きとしていて、むしろにぎやかな感じだ。今では錆絵ってあまり見ない気がするが、きっとこれを手がけたのは錆絵師(?)といってもいいくらいの熟練の職人さんじゃないだろうか…。そんなふうに思いを馳せるのも修理の楽しみだ。(※注1をご参照ください)

 でも上の写真は修理後の、艶を取り戻した姿。お預かりしたときは汚れやくすみで一層地味な外見だった。
 内側はもっと傷んでいた。





長年しまっていたためにボディである木地が乾燥し、漆もひび割れめくれ上がっていた。これは下地から工程を重ねればまた新品のようになる。何カ所かは木地が欠けていたが、こちらは木っ端とコクソ漆(木の粉と米糊を混ぜたパテのような漆)で穴を埋めることができる。
 
 半年を経て、若返った姿をご覧あれ。



 
 
 私自身は、悪戦苦闘の末にようやく何とかお返しできたと、ただ安堵するのが精一杯だが、自分の腕はともかく、修理が終わると毎回「漆の力ってホントすごいでしょう!」と力説したくなる。現代人の感覚では、あれだけダメージを受ければ捨てられるのが普通かもしれないのに、元のようになってまた何年も使えるなんて。漆と先祖たちの知恵に感謝。


 半年間付き合っていたら、この椀の雰囲気がとても気に入ってしまった。このぽってりした丸さでいて、高台は極端に小さいのが可愛い。外は地味なグレー一色なのに、実は絵がぎっしり。蓋を取るとわっと華やかな蒔絵が目に入る。その蒔絵もおおらかのどか、赤と黄と金がどこまでも楽観的で楽しい。京蒔絵や加賀蒔絵のきちっとすました感じとはまったく違う印象だ。
 塗りは簡素な方だ。もっとたくさん塗ってあれば傷む度合いも少なかったかもしれない。でも殿様のお道具ではないのだし、それはそれでいいのだろう。庶民の暮らしの中で(庶民の中では余裕のある家だろうが)、ハレの日にわっと心を解放するとき、こんな椀が並ぶのはなんともおしゃれな演出だなぁと思えてきた。
 


 「庶民のハレの日」らしいなぁと思ったのが、この上縁。金ではなく黄の色漆で縁取ってあるのだ。おそらく金縁の代わりなのだろうけれど、朱漆との組み合わせがどことなく暖かくて、ほっとする色合いだ。(※注2をご参照ください)
 私の推測は当てずっぽうなのでもっと勉強しなくてはいけないが、椀を預かって以来、会津の山あいの小さな村で名主さんのような家の座敷に人が集い、この椀が出され、宴が盛り上がっている光景を想像している。


注1:「東北の塗師」さんより、会津では、錆絵はもっぱら女の仕事だったとの情報をいただきました。詳細はコメント欄。↓
注2:「東北の塗師」さんより、黄色の縁は金縁の代わりでなく、おそらく元は金縁が施されていたもので、表面の金が取れて黄漆だけが残っている状態だろう、とのご指摘をいただきました。詳細はコメント欄↓
【2009.02.05 Thursday 06:28】 author : chiewatabiki
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「革のぬりもの」 庶民の漆器の可能性
 このブログは、まだ漆器を使ったことのない人にも漆が面白そう、素敵そう、と興味を持ってもらうよう願って、やっている。なので、名前は「うるし日記」だけれど、実際は「読み物」的に漆のあれこれを書き綴ろうと思っている。なのになのに、今年はまだその読み物的な記事をあまり書けていない。時間は無いんじゃなくて作るもの…ですね。今日は時間を作って、私の制作しているぬりもののことをお話ししようと思う。

 
 私は木地に漆を塗るぬりもののほかに、革にも漆を塗って器や小物を作っている。2003年から取り組んでいる。作り出してみると革は漆と相性がいいし、形も自在に作れるし、塗り固めてもそこはかとなく独特の表情が出てくれるので、面白い。だから今では、初めには思っていなかったものにまで制作の範囲が広がっていって、自分でも驚いたり、面白がったりしている。
(以下掲載の写真は、すべて革の素地に漆を塗ったものです。)


漆皮盛器 2007年

 革に漆を塗ると聞くと、一般的には木に塗るのが漆器なので、何か唐突な無理矢理な感じがするかもしれない。でも実は、「漆皮(しっぴ)」といって正倉院の昔にすでに出来上がっていた技法なのだ。革は木地と違って割れたり欠けたりしないので、きっと当時は重宝していたことだろう。
 ただ、現代で「漆皮」がマイナーなイメージなのは無理もないことで、正倉院後の時代、つまり平安時代以降には廃れてしまったそうなのだ。奈良時代には大切なものをしまう箱などを漆皮で作っていたようだ。しかし、ほどなく木工の技術が発達してきた。製材して鉋をかけて、木を組ませる「指物」できちんとした箱が作れる時代が来たのだ。そうすると、日本は森林が豊富だから、木の方が革より調達しやすい。それでさーっと革の時代に幕が引かれてしまったようだ。
 

漆皮皿 朱黒銀 2006年

 それでも、革と漆の組み合わせが消えた訳ではなかったんじゃないか、とも思う。民藝館で江戸時代の革の入れ物を見たことがあるが、漆が塗られていた。自然素材の中では革も漆も相当に便利なものなので、中世以降も何らかの形で用いられることはあったのかな、と想像してみたりする。
 現代で言えば、正倉院の技術をよみがえらせる研究をした増村紀一郎さんをはじめ、漆皮の作品を作っている作家さんは探せば結構おられる。増村先生の漆皮作品は、日本伝統工芸展に何度も出品されている。私自身も、輪島の学校で増村先生の講義を聴いたことがあって、頭の隅に漆皮の知識があったからこそ、数年後に革を手に取ったとき「やってみよう」という気になったのだと思う。まぁこじつけで言わせてもらうと、私も正倉院からの漆皮の歴史にどこかでつながっていることになる(?)。


梅形組皿 2008年 

 
 ここから私と革の関わりについて触れたいのだが、革を取り入れるようになったきっかけは、漆皮をやりたいと思ったからではなかった。輪島でともに漆を学び、今は布・革製品を作っている友人が「この革、漆皮で使う革なんだよ、何か作ってみたら?」と言って端切れをくれた。このたまたまの出来事がなかったら、私は革のぬりものを作るようにはならなかったかもしれない。その時までは木地で作ることしか考えていなかったから。


角皿六寸 溜 ¥7,000(2年半使った状態。角の漆が透けてきて、下層の朱が鮮やかになった。)

 初めに作ったのは角皿と輪花鉢。角皿は私の定番商品になった。革の縁を曲げるだけで皿ができた。輪花鉢は一点物で売れてしまったため写真はないが、革を花弁の形に切って作った。曲げる、切る、は簡単にできるとわかった。その後も革を触るうちに、折る、重ねる、ねじる、巻くなど、いろいろに形成できると気付いた。ということは、広い範囲の日用品を定番として生産できそうだ。そこで下の写真のような小物も作るようになった。


ピルケース 黒 ¥5,600



うるしリング 各種 ¥3,000〜


バレッタ ¥2,300〜2,500


 このブログでもしつこく書かせてもらっているが、私は日用雑器、庶民の漆器を作りたいと思っている。高価な漆を使って「庶民の」というのはジレンマだと自覚しつつ、どうしてもそこにこだわっている。革を扱いながら徐々にわかったのだが、革は「庶民の漆器」を実現するカギになるかもしれないくらい、現代の雑器には最適な素材だと思う。
 庶民が普段づかいできる漆器とは、ずばり安い漆器だ。安かろう悪かろうではなくて、安くてなるべく良い漆でそこそこもつ漆器だ。安さのためには材料費と工程数(=手間)を抑えることが必要だ。革はなんと奇跡的に(?)両方を可能にしてくれる。
 
 材料費カットといっても、肝心な漆の質を下げては元も子もないから、他の部分でコストを削るしかない。論外だけれど、木地を、木粉を固めた圧縮材で代用するのもダメだ!そこで、革が価値を帯びてくる。歴史的にはどうか知らないけれど、現代では革は木地に比べて安い。成形も自分で楽にできるので、工賃もあまり掛からない。
 たぶん、奈良時代に盛んだった漆皮が平安に途絶えたのは、当時、大木がふんだんにあったからだろう。1本の大木と1頭の牛を比べたら、木の方がはるかに大きい面積の板がとれる。栽培・飼育、加工の手間はどちらも大変なのだから、結果、効率の良い木材を使うようになったのだと思う。
 でも近代以降、事情は違ってきた。巨木は切り尽くされて、おまけに林業も衰退してきた。だから、良質な材木は貴重品になった。そして人件費も上がった。挽き物や指物など、木地師さんの技術の詰まった漆塗り用の木地は、それだけでだいぶ高いのだ。
 革はおそらく昔の日本では多く生産されなかったかと思う。でも今日は、食用、革製品のためにたくさん家畜が生産されるから、昔よりも安く手に入るようになっているのだと思う。そう考えると、現代こそ、漆と革のコンビネーションが活躍すべき時代なのじゃないか、と思う。 
 

薬味皿 朱 1月発売予定


ソープディッシュ 錫 1月発売予定

 
 さっき革は形成が簡単と書いたけれど、私の作るものは実は正倉院の御物や増村紀一郎さんの作品のように、手間暇を掛けた「漆皮」ではない。もっとラフな作りだ。正統な漆皮の場合は、木で型を作って、革を伸ばして型にぴったり沿うように引っ張りながら覆い、箱なら箱の形に定着するまで置いたのちに型から外す。その素地作りには長い時間が掛かる。私は型は用いない。布や紙で形を作るのと同じように加工しているから、素地作りに時間は掛からない。
 ひとつ心掛けているのは、作るものが食器やアクセサリーである関係上、あまり革の生々しい質感は出さないようにしていることだ。その点では、革工芸の印象は薄く、普通の漆器に見えると思う。少しのたわみや歪みがアクセントになるくらいの造形をしていきたいな、と思っている。
 
 みなさま「革のぬりもの」に興味を持っていただけましたでしょうか?よろしかったら今度の展示会で実際に見たり触ったりしてくださいね。
【2008.08.28 Thursday 11:00】 author : chiewatabiki
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オーダー箸置き
あるイタリアン・カフェのための箸置き。


私の定番箸置きでは店の雰囲気に合わないと思い、オリジナルでデザインさせてもらった。
【2008.06.08 Sunday 10:32】 author : chiewatabiki
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汁椀と飯椀
 みなさまはどんな食器でご飯とお味噌汁を食べていますか?
 漆器といえば一番馴染み深いのが箸と汁椀。私にとっても、子供の頃から使ってきたのは箸と汁椀くらいだった。ご飯茶碗は漆器ではなく、だいたい白っぽい磁器が多かったように思う。おそらくそれが一般的な日本のごはんスタイルでもあるんだろう。
 でも私はせっかく漆を始めたのだから、もちろん漆の飯椀は作っていこうと思っていた。「漆器で食べる飯はうまい!」とみんな言う。そうなんだろう。早く作りたい。早く汁椀と飯椀を作って、我が「中野下漆器店」の中心定番商品にしたいものだ!善は急げ!
 でも、日常的に漆椀でご飯を食べるという経験をしてきていないので、飯椀はじっくりイメージしてからでないと形を決められない気がして、結構長いこと保留してきた。考え出すとなかなか悩みどころがあるもので、最も難しく思うのが汁椀と並べたときのバランスだった。やきものとぬりものが並んだ感じがもう頭に染みついているので、漆二つを並べたとき、同じ大きさでもヘンに見えて、どちらかが大きくても釣り合わない感じがする。形にしても、おんなじシルエットではうっとうしく、違う形だとしてもその違い方によってはちぐはぐになる。セットで使うときにしっくり来るのはどんな形なのだろう。
 そこからあれこれ思案した過程は後回しにして、結果はこんなふうになりました。木地は去年の11月にめでたく出来上がりました。写真左が飯椀で、右が汁椀です。



 今年はこれを新商品にするぞ!新しいものはやはりワクワクする。飯椀は小振りなので男性の手と胃袋には足りないかもしれない。この形でひとまわり大きいものも作りたいな。

 私は、塗りの技法にしてもデザインにしても、「自分の感性でオリジナルに、他にないものを」という発想ではなく、「理に適ったやり方で、歴史の知恵を踏まえた形で」と考える傾向がある。歴史を振り返ると、ある食器がその形状に落ち着いた理由、それを心地よく思う美意識とか日本人の気分みたいなものが見えてくる。その中に普遍的な要素があれば、それはきっと引き継いだ方が現代でも使いやすい物になるんだろう、と思っている。そこから現代ならではの事情や自分の感覚に合わせて、足したり引いたりして器を作っている。
 飯椀・汁椀にしても昔のスタイルを参照すれば割と簡単に形が決まりそうなものだが、実はそうはいかない。ご飯を食べる食器は今に至るまでずいぶん変遷があったようで、不変の形があったわけではないのだ。お米を食べる文化は縄文時代の終わりから続いているというのに。
 
 ここで昔の飯椀はどんなものだったか、その変遷を書きたくて、きちんと調べてから記事にしようなどと昨秋から企んでいたのだが、いっこうに実行せずズルズルと今年になってしまった。きちんとまとまった内容で書こうと思うからなかなかブログを更新できないんだなぁ。「うるし日記」どころか「月記」でも危ういペースで、定期的に来てくださる人には申し訳ないなと意識しつつ、しかし相変わらずこの調子です。すみません。
 
 知っていることだけで言うと、漆椀で食事するスタイルでは、飯椀が大きくて汁椀はひとまわり小さい。お坊さんの食器でもある四つ椀は、大きい順に飯椀、汁椀、おかずの椀、お新香の椀という具合に使われる。江戸や明治のせともの茶碗になるとすでにサイズが小さめなのはなぜかな、と思うけれど、食べる量が減ったというよりも、陶磁器は重いのでなるべく小型化したかったのだろう。お櫃を傍らに置いて何度もおかわりしていたかもしれない。もっとも、都と農村では食べ物も食べる量も食器も違っただろうから、その辺も一概に言えないかもしれない。
 ともかく、昔の飯椀は大きかった(ことにする)。ご飯が食事の中心で、おかずはほんの少しだった。でも現代の食事はおかずが豊富だから、ご飯は平均して少なめだろう。だからご飯茶碗も汁椀より小さいか同サイズくらいが普通みたいだ。
 
 また、昔(中世以降?)はちゃぶ台でもテーブルでもなく、銘々の膳で食事をしていた背景も考えなくてはいけない。食べるときは正方形の中に食器が全部収まって、しまうときは一人分の食器を一式重ねて箱膳の中へ入れる。そういうスタイルに適していたのが四つ椀など昔の椀だったのだろう。一つが端反りで一つがまり椀だったら重ねにくい。平たいミート皿も置けない。だからすべてを大小の椀でまかなう。
 今は違う。一人の食器を全部重ねる必要はないし、重ねたとしても汁椀と飯椀だろう。むしろ、家族分の汁椀をまとめて置き、飯椀は飯椀で、食器の種類ごとに重ねている家庭も多いだろう。そういう意味では、現代の食器はある程度自由な形状でもいいということだ。片付けたときかさばらないのは切実な願いだけれど。

 それから、昔の食器を目にするたびに気になっていたのが、汁椀が浅くてすぐ冷めそうだ、ということだ。あんなに(直径2:高さ1の割合)浅いのは持ちやすさのためにそうしたのだろうか。私は熱いものを少しでもぬるくなった状態で食べるのが本当に嫌いなので、かねがね浅いお椀が不満だった。
 昔の椀に限らず今も、せともののご飯茶碗ですーっと逆さの八の字にひろがった浅いものがあるが、形はきれいだけれど、あれはご飯がすぐ冷たくなりそうで何となく苦手に思っていた。

 こんなふうに食のスタイルが今と昔では異なるので、昔の椀の大きさ、並べ方などは考慮に入れないことにした。今回は現代人の食卓に合うように、それだけを考えて形を決めた。そして諸々の自分の願望も盛り込んで、飯椀はやや小さめで深め、汁椀は浅くはしないけれど、あまり深くても味噌汁が池の水みたいに見えるからほどほどに、そしてどちらも冷めやすくない形を心掛けた。
 飯椀・汁椀というのは百人いたら百人の好みの形があるのだろうから、結局自分が作るのは自分にとって不快でない形を追求したものになる。これからお客様と接して一つずつ売っていく中で、また普遍的な要素を見つけて拾っていきたいと思う。それらを品物に反映させられたときに私の飯椀・汁椀が完成するのだろうと思っている。楽しみだな。楽しみにしていただけたら有り難い。
 
【2008.01.26 Saturday 11:22】 author : chiewatabiki
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曲線・円・輪、鈴木睦美さんの器
 だいぶ前から、折敷と盆の中間のようなトレイを構想している。大きさ、縁の感じ、塗りの仕上げ方については、試作品を作って考えがまとまってきた。自分の食事で実際に使ってみているが、大筋のねらいは外れていないのではないか、こういうのを使いたい人もいるのではないか、希望的観測だが手応えを得た。
 でも、まだどうしても決まらない点があって、出来上がっていない。決まらないのは輪郭だ。このトレイは真円ではない不規則な円形にしようと思っている。楕円とも違って、三角に近い円だ。それを自然な流れるラインにすることに苦心している。
 
 なぜわざわざそんなヘンな形にしたいかというと、使う状況を考えたらその方が機能的じゃないかと思うに至ったからだ。当たり前だが食器は何を載せるか、盛るか、どこに置くか、によって適した形があるのだろうと思う。多くの器は真円や真四角や長方形でまかなえるとしても、それでは不都合な物もあると思う。私は、その「ヘンな形」のトレイがあったら、真円のものより食器が載せやすい、収納しやすい、四角の食卓でスペースを占領しない、と良い理由がいくつか浮かんで取り組んでみたくなった。

 話は戻って、そのヘンな円をどうやって自然なラインで成立させるか、だ。なかなか難しい。直線に近い部分と急カーブで曲がる部分と緩やかな曲線を一筆書きの中に入れなくてはならないのだから、どこかギクシャクしてしまう。円というのはきっと尊い形で、物を閉じこめる、物を守る、物を包む…、究極の力を持った形なのだと思う。だから、食べ物と食器を大切に内包すべき盆も、その輪郭は豊かな線でなくてはいけない。
 
 先日、試行錯誤する私に最適なヒントが舞い降りた。鈴木睦美さんの個展を見たのだ。鈴木さんの器はそれこそ、不規則な円のオンパレードだ。といっても、無理矢理に歪めた形ではない、すべてがやわらかく自然に歪んでいる。
 その形の作り方を聞くと、なるほどと納得する。詳しくは分からないが、ロクロでごく薄く木地を挽くのだそうだ。そして外から何らかの力を加えて歪ませる。それを漆で固めれば、木は外に戻ろうとするし、漆は内に押し込める。その力のせめぎ合いで、無理のない絶妙な所に落ち着く、という原理だ。
 様々なゆがみかたの器があったが、確かにどれをとっても、行きすぎないバランスで心地よかった。円が破綻していないということは、力を内に保てるということであり、中の物をきちんと守れる印象を与える。だから器として安心感がある。ある鉢などは、私が辿り着こうとしている「三角っぽい円形」の輪郭にほぼ近かった。私は頭の中を一生懸命探していたのに、すでに具現化された事実を前に、うれしさとショックが混ざってガーンとした。美しい形だった。
 ははーん!鉛筆で曲線を描いて切り取っても、どんなふうにも描けてしまうから、独りよがりな線になっていたんだな。円をもっと物理的に考えないとダメだな。外に押す力と内に閉じこめようとする力がちょうど均衡するところを探れば、自然と形は決まりそうだな。
 一つの方法を思いついた。図面上で格闘することから離れて、ちょっと違うやり方でアプローチしてみよう。うまくいくかな、いくといいな。

 このトレイが完成したらホームページ「ぬりもの」に載せるので、ご覧いただけたらうれしい。いましばらくお待ちください。


2009.9.11.追記
予告したまま時間が経ってしまいましたが、やっとやっと2008年にめでたく完成、商品化いたしました。このようになりました。↓
ランチョントレー (大) 9,400円  (小) 8,800円
おかげさまで、展示会では私の意図に共感してくださる方が多く、10余枚の注文をいただきました。
写真だとちょっと形の印象が違うかも…?、とは作者の言い訳です。

縁と溝はこんな感じ。


鈴木睦美さん哀悼の意を込めて。
【2007.09.26 Wednesday 08:03】 author : chiewatabiki
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「町の漆器屋」の仕事
 最近こんな仕事をしました。
 「こんな器がうちにあるんだけど、このまま使うのはちょっと…。これに漆塗ってもらえますか?」お客様はこう言って白木の鉢を差し出された。



 手彫りの輪花鉢。柔らかい材質のようだ。たしかに、このまま使うと料理の汁を吸いまくってしまうだろう。木の種類は判断できなかった。でも、輪島の鉄鉢に使われていた木地に質感が似ている。見たところオイル仕上げが施された雰囲気でもない(油分がある所では漆は乾かない)。これなら塗れそうだ、と思ったのでお預かりした。

 お客様のご依頼はまず赤にしてほしい、それから、旅のお土産にいただいた手軽な物なので簡単な塗り方でいいです、とのこと。私も「そうですね、下地はしないで3回くらい塗り重ねる感じにしましょうか」と提案した。
 ただ作業に入ってみると、かなり手彫り感がある木地で凹凸が著しいことに気付いた。これでは、上塗のとき窪み部分に漆が溜まって縮んでしまう可能性がある。うまく仕上がったとしても、デコボコに光が反射してきたならしく見えてしまうかもしれない。それで、お客様の了承をいただいて、下地漆で穴埋めする工程を追加した。
 出来上がりはこちら。


 
 素晴らしい塗りではないが、これで使える器になったと喜んでいただけた。

 私はこういう仕事っていいな、と思っている。木に漆を塗って強くするというのが漆工の原点だから、「これ使いたいから塗って」と町の漆器屋に物が持ち込まれて、塗られて、人の生活の中に戻っていく、それはぬりもの業の自然なありようだと思う。それを気軽に普通にできる状況があったらなおいい。
 だから私は自分の作品でなくても、使い手が身近に漆器を置いて漆の特性を享受してくれるなら、どんなものでも塗りたいと考えている。みなさまもお手持ちの木の器、箱、板、台、テーブルなどなど…古くなったら漆器に生まれ変わらせてみませんか?黒や朱のぬりものにするも良し、拭き漆で仕上げて木目を味わうも良し。元がオイルフィニッシュのものでも、時間が経っていれば油分が抜けている場合もあるので、新たに漆を乗せることができる。質感と色が変わるだけで、初めて出会ったもののように違う雰囲気を楽しめますよ。
 上に紹介したお客様にはもう4件仕事をいただいた。一つは私の商品「カレースプーン」だが、あとは修理や塗りのご依頼だ。はじめは蒔絵五段重の修理。次は花台(材はおそらく紫檀)の拭き漆。そして今回の鉢だ。そうやって一つずつ、ご自分の持ち物を使い継ぐために漆を塗り、結果として身の回りに漆器を増やしていかれる暮らしぶりは素敵だなぁと思う。


 漆にはこんな気軽な楽しみ方もある、ということを書いた。でももちろん、材料・形・塗り方すべてに作り手の意図が反映された作品にはプラスアルファの良さがある。私も「こんな漆器がいい」という思いは自分の品物で展開していくので(ぬりもの しばらく更新しておらずすみません)、そちらも見守っていただけたら大変大変有り難い。よろしくお願いします。
【2007.07.14 Saturday 10:10】 author : chiewatabiki
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時を継ぐ仕事 修理
 今年に入ってずっと修理品と格闘してきた。今週でようやく、去年預かった物は全部納品できた。あー肩の荷が下りた。感謝感激だ。

 少しご紹介します。



 これは鏡(物を載せる面)と縁(立ち上がり)の木地が完全に離れてしまっていたので漆で接着し、下地から塗り直して金縁もやり直した。印籠と扇子の蒔絵がある鏡はそのまま残した。




 こちらも元は、上と同様の角盆だった。でも、縁の曲げ輪が脆くなってバリバリと壊れていたので、ご依頼主様に相談したところ、縁を取り去って代わりに4つの足を付けてほしいとのご希望。足だけでは心もとないので、鏡の周りを下地漆で盛って低い縁にした。塗り直しの色は、鏡の朱色と金が目立つようにと、黒にした。これも依頼主さんと相談するうちに、それがよいということになった。

 
 修理品は一つずつ違うのでそれぞれ思い出深い仕事になる。それに作られた時代の雰囲気がデザインから感じられるし、生産地の技法がわかって勉強になるのも修理ならではの醍醐味だ。中には、戦争中で材料が不足していたのか、布着せの代わりに新聞を漆で貼り付けた盆を見たことがある。木地でも和紙でもなくボール紙のようなボディに漆を塗った盆もあった。
 
 今私が苦しんでいるのが、蒔絵や沈金の絵柄を残して他の面を塗り直す場合の作業だ。いかに絵柄の面に傷を入れないで維持しながら作業を進めるかが、私にとっては難しい課題なのだ。
 修理といえば、小刀で溝を掘って漆を埋めたり、粗いペーパーやすりをかけて漆を研ぎ落としたりする。保護したい絵柄の部分はマスキングして隠しておくのだが、作業部分と絵柄が隣り合っていると、マスキングを外さなければいけないときもある。
 修理品は古い物だと漆の塗膜自体が弱くなっているので、簡単に傷が入ってしまう。蒔絵の金粉も漆で接着してあるから、少し擦れただけでも取れてきてしまう。そんな繊細な注意が要る蒔絵面の横で、下地の基礎工事をガチャガチャやるわけだから漆の粉がちょっと飛んだだけでもヒヤヒヤする。慎重にやるから時間もかかる。
 でもご安心を。塗り直さない面にも漆を摺り込んで、それまでより強い状態にしてお返ししている。蒔絵部分にも摺り漆で保護膜ができるので、少し強くなり輝きも取り戻す。文化財修復並の扱いはできないので塗り直さない面に多少の傷が入ることは避けられないが、その傷も摺り漆を重ねるとほとんど目立たなくなる。

 
 修理品は難しさも手間も、新品を作る比ではない。もっと経験を積んでもっとノウハウを身につけて手際よくならないと、利益が出せない。
 でも何とか修理は続けたいなぁ。修理してこそ漆が文化として成り立つんだろうと感じているから。修理しなければ循環がストップしたままだ。使い手としての楽しみを考えれば、新品の器に出会うだけでなく昔の雰囲気が漂った器を持つ、おばあちゃんから受け継ぐ、そういうことがあるとないとでは漆の価値が違ってくるように思う。
 私は、お代を頂いた修理の仕事はまだ十数件しか経験がない。でも、生まれ変わった器を見たお客様は皆、直しものならではの反応をされる。それは驚きと喜びと、器を使い継ぐ誇りを含んだような感想だ。その声を聞くと、早く何とか作業を効率化しなければ、修理と製作が自分の両輪になるようにがんばらねば、と思う。
【2007.04.21 Saturday 11:41】 author : chiewatabiki
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創作の神様
 NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」をよく見ている。リンゴ有機無農薬栽培の木村秋則さんの回はとても共感して好きだった。

 その番組で、創作の態度としてかっこいいなぁと思ったのが漫画家の浦沢直樹さんだ。
 浦沢さんは自分の描きたいもの、自分の方向性を頑固に貫いてきたそうだ。「YAWARA!」がヒットすると出版社はまたスポーツ漫画をリクエストした。しかし浦沢さんはスポ根が描きたいのでなく、人間の心理を描き出す漫画を目指していた。それで次の「Happy!」はテニスが舞台であっても、人間の欲や醜さを表面に出したものにしたそうだ。何かを生み出すには、自分の軸がブレないことが大事なんだろう。それでこそ作品が面白くなるんだろう。

 そんな信念を貫く人なのに、浦沢さんは漫画を作る現場では人の意見にしなやかに反応できる。それはすごいなぁと思った。浦沢さんのブレーン(?)長崎さんは「彼は創作の神様の前には素直なんです」と表現していた。何日も仕事場に籠もって考え抜いて詰めてきた原稿だから、完成間際まで来たらそれはもう動かせないと思いそうなものだ。けれど浦沢さんは長崎さんの提案に従い、潔く変更してしまう。判断基準が「作品のため」だからできるので、自分のためじゃない。技術・発想が卓越している上に、真摯で誠実で自己批判の眼を持っている浦沢さんはすごいなぁ。

 翻って、私も創作の神様の前に素直になれるんだろうか、と思ってみた。私の現在地は浦沢直樹のレベルとは雲泥の差があるけれど。素直でありたいと思う。難しいことだとも思う。
 例えば(小さな例だが)、私の品物でカトラリー各種と赤子椀は、デザインしたというより持ちやすさ・掬いやすさを追求したら自然と決まった形だ。まだ納得するフォルムにはたどり着いていないけれど、基本形はちょっと自信がある。自分の手には使いやすく感じている。でも、もっともっと多くの人に使ってもらった暁に「これ使いにくい」という感想を複数頂いたとしたら、私は素直に受け止められるだろうか?
 今からそんな心配するよりまず作れという話だが、少し想像しただけでも、自分の思いを捨てて人の意見を肯定するのがいかに大変な作業かわかる。まだ自信も実績もない人(私!)ほど、あるいは自分のちっぽけなこだわりを守ろうとするのかもしれない。


 
 きっと、方向性の信念と個々の具体的意見は分けて考えたらいいんだろう。前者は揺るぎなく、後者は柔軟に、そんな姿勢でいられたらいいなと思う。
 山本英明さんにお目に掛かったことはないのだが、山本さんは「いろんな人がいろんな意見をくれるが聞き流せばいい。ただ、お金を出して自分のぬりものを買ってくれるお客さんの言うことだけは聞く耳を持たなければいけない」というようなことを語ったおられた。浦沢直樹さんも山本英明さんも、頑固さと素直さを両立して大事にしているから良いものが生み出せるんだな。
 
【2007.04.20 Friday 16:59】 author : chiewatabiki
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看板出しました
 やっとですが、看板ができました!
 
 所々縮んでしまったし、文字のバランスもちょっとまずいなぁ。満足の出来映えではないけれど、桜に間に合わせたかったので無理矢理仕上げました。というのも、家の前が桜並木なので桜の時期はいつもの何倍も人が通るのです。きっと目に留めてくれた人もいるはず…。
 
  
 
 これから自作の器や修理についてのチラシを作って、看板の下に置こうと思います。そうすれば何かの時に尋ねてくれる人もいるのでは、と期待しつつ。
 明治か大正の漆器が押し入れに眠っている、という人は結構いるようです。「塗り直して使えますよ」と一声かければ気持ちが動くこともあるんじゃないかな。とりあえずの屋号も背負ったし、「町の漆器屋」始動です。がんばります。

【2007.04.10 Tuesday 20:31】 author : chiewatabiki
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