漆工 綿引千絵の奮闘記
 
国難の時代に、漆器。
震災の後、皆そうだったみたいだけれど、私も「こんなふうに椀塗ってていいのか?」と思った。被災地を思うと、自然とそんな感情は湧くものですね。
でも実は、次に私が思ったのはもっと利己的な気持ちで、「これから大変な時代が来る。漆やってて生きていけるのか?」ということだった

どう考えてもこれから復興にたくさんのお金がかかる中、一般市民の生活は厳しい時代が続くんだろう。そんな“国難” の時代に、漆器を使い、楽しむ人がどれ程いてくれるだろうか。もう今となっては、漆は求められていないんじゃないか。
地震当日から1週間くらいはそんなふうに思って、仕事が手に付かないくらい呆然と過ごした。
やはりその時は、漆器より、金より、歌より、一個のおにぎりが大切な状況を毎日目の当たりにしてたんだもの。そりゃ、「自分、何やってんだ」と思ってしまうのも仕方ないかな。

脱力してしまった私の意識を変えてくれたのは、ほかならぬ被災者のお客様だった。

その方は茨城で被災され、ご自宅には津波が来なかったものの、ライフラインを断ち切られた。とくに、水道はその後数週間復旧せず、毎日水道車の行列に並び、川から水を汲み、汚物を庭に埋める生活を余儀なくされたそうだ。
心配になって連絡を取ったとき、「綿引さん、この生活では、たっぷり椀にお汁をたっぷり入れて飲めることって、本当に幸せなことなんだよ」と言ってくださった。

たっぷり椀 毎朝汁椀として使っているマイ椀 

もちろん、お客様は液体を存分に飲めることがいかに貴重か、その状況を話してくださったんだとは思う。
でも、なんだか私には、過酷な状況下では漆椀の形や色や手触りがなぐさめになったよ、という意味にも聞こえてしまった。


その後、展示会でこういうこともあった。
「震災に遭って、つまらないものは持たないようにしようと思ってたくさん捨てたんです。その代わり、本当に良いと思うものを使っていこうって。」掌に私の飯椀を包みながら、そうおっしゃるお客様。
物なんて一瞬で無くなってしまうのだから、形あるうちは本当に好きなものを楽しんで使うのだと、飯椀を持ち帰ってくださった。

 飯椀 (小)


このお二人は、ご自身にとっての「豊かさ」を漆に感じておられる。そうか、漆は豊かなものなんだ(←今更ながら!)。私の漆器も、豊かさを差し出せる可能性があるんだ。

国難の時代だからこそ、一昔前のような、外での派手な“娯楽”や使い捨てる消費物を、いつも誰でも享受できる訳じゃない。そんな“豊かさ”を望まない人も多くなっている。
だったら、いつもの生活の中で感じられる豊かさが、きっとこれから、更に更に大事になるんだろうな。

二つのお言葉のおかげで「私も漆続けてていいんだ」と思え、無事元気回復となった。
残りの人生、漆で生きていけるのかは私次第なんだけれど!

【2011.07.29 Friday 13:32】 author : chiewatabiki
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漆掻きの飛田祐造さん
震災の後、原発や計画停電の情報が欲しかったのでツイッターを始めた(使い方がわからなくて情報はいまいち得られなかったけれど)。
今は仕事上の興味で、展覧会情報を得たりや様々なジャンルの作り手さんとつながったり、ま、もちろん自分の宣伝のためにも、ありがたく活用している。

そのツイッターで先日のこと、 @japanjobojiさんがある映像を紹介してくれた。NHK教育テレビの子供向け番組だ。
ツイートには「茨城の漆掻き職人・飛田さんが紹介されました」とある。えー!!!私が使っている上塗漆を生産している人だ!
いつも漆を取り寄せると、チューブには「茨城産 飛田祐造氏の漆」との文字と飛田さんの顔写真が印刷されたシールが貼られている。そのシールを剥がして、仕事場に貼ってある。なので私は毎日その顔を見ている。
その人の番組かー!
“恩人”なのに汚らしく貼っていてごめんなさい。

すぐさま映像を見たのだが、感動した。
こんなに表情と声と話と仕事ぶりが真摯で、素晴らしい人物の採った漆を使わせてもらっていたんだなぁ。
なんていい顔をしておられるのだろう。

説明するよりご覧いただくほうが早い!15分ほど掛かりますが、ぜひぜひ見てください。子供の番組なのですごくわかりやすいです。



きっと私だけでなく、私のぬりものを使ってくださっているみなさまも、器になる前の始まりの部分を知って、それがこんなにひたむきに哲学を持った仕事人によってひっそりと(?)なされていることを知って、ぬりものにまた一層愛着を感じていただいたのではないだろうか?


私は、自己表現だとか漆を素材に面白いものを作るとか、オリジナリティーを出すとかが漆工の動機でなく、「日本文化が今もこれからも日本文化である為に漆をやっている」と思ってきた。けれど、飛田さんの仕事を見て、百年早いわ!と自分が恥ずかしくなった。
飛田さんは雨風、暑さ寒さ、山の起伏、そしてウルシの木と、まったくごまかしの利かない自然を相手に仕事をしている。誰よりも、正直にひたむきにならないとできない作業かもしれない。
飛田さんははっきり言われた「日本の伝統文化を支えるのには、この漆がなければダメですから」。まさに日本文化のために仕事していらっしゃる。

私自身の仕事を思うと、どこまでが理に適っていることで、どこからが独りよがりな考えなのか、自分で区別するのは難しい。逆に言えば、一応は自分の好き勝手やっても、それなりに漆器は生産できてしまう(そうだから、いかに自分を律して自問してよいものを目指すか、にかかっているのだろうけれど)。
漆掻きさんはそんな甘いもんじゃない。理に適わない仕事をしたらよい樹液が採れない訳だから、返ってくる結果は100%自分で引き受けなければならない。
だから、余計にすごいなぁと思う。

もっと感謝して、一滴一滴を使いたいと思った。


最後、PRになってしまいますが、ツイッターとフェイスブックもやっとります。もし繋がってくださる方はよろしくお願いいたします。
twitter @chiewatabiki
facebook 綿引千絵 
(恐れ入りますが facebookの「友達リクエスト」をくださる際、もともと知り合いでない方の場合は、一言メッセージを添えてくださいませ。)

【2011.07.10 Sunday 08:59】 author : chiewatabiki
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水銀朱の勉強会@舎林のご報告
春の活動のご報告が遅れ気味で、以下にお話ししますのは5月21日の出来事になります。

赤い漆器に使われている古来の赤色顔料「水銀朱」は安全なのか??という問題。
あらましは過去の投稿「水銀朱の話―安全か?危険か?使うか?やめるか?―」でざっと(でも長々と)述べさせていただきました。

要は、水銀朱といったら、水俣病を引き起こした水銀が想起されて、とても恐ろしいイメージを持たれる訳ですが、本当のところはどうなんだろう?
漆器として使う上で、また、漆器を生産する過程で、害はあるのか?
それを作り手である我々がきちんと把握して、自らの態度(水銀朱を使うのか、使わないのか)を決め、使い手のみなさまに正確なことをお伝えしていく義務があるでしょう、との問題意識から、勉強会を開くことになったのです。

「開くことになった」と口が滑りましたが、私は「勉強会を開いて」とお願いしただけで、実際に開いてくださったのは、会場を提供してくださり人を集めてくださった「舎林」さん、文化史的側面で講義してくださった藤崎誠先生、そして、塗料としての化学的側面、水銀廃棄に関する法制面で綿密な調査をし、発表してくださった丸山智洋さんです。
このお三方のお陰で、今回私たち参加者は、少なからず新しくて正しい知識を得られたと思います。




時代の風潮もあり、食品・生活用品の安全性については、一般消費者であるみなさまも関心が高いことと思います。勉強会でわかったこと・確認できたことを、環境問題の側面に限って、みなさま(作り手さま、売り手さまも含む?)にもご紹介申し上げます。
誤解を招く恐れもありますが、予備知識のない方にもご理解いただけるよう、要点だけをまとめてみます。


ー訶匹蠎心錣箸靴道藩僂垢襪ぎり、水銀朱は人体に取り込まれない。健康被害も起こらない。


⊃絛笋稜儡(おもに下水)については、現行法で厳しい規制が布かれている。
 ↓
 けれど、現状において、水銀朱を使う漆器生産者が、法制を守って廃棄しているケースは少ない。
 
 〈法律〉排水に含まれる水銀は、1Lあたり0.005mg以下でなけれ     ばならない。
  →漆器生産の現場:
   ある想定下での計算では…
   椀1客の研ぎ工程で出る水銀量を、規制値内で排水するには、
   水200トンが必要。
   ⇒漆器生産者は下水に流さない取組みが必要なのでは…?

 ※ただ、水銀を除去せずに下水に廃棄してしまった場合でも、
  下水処理場で汚泥として回収され、水環境中には排出されな   い。


水銀朱が塗られた漆器を焼却ごみに廃棄すると、燃焼によって強毒の水銀蒸気が発生する。
 ↓
 しかし、ゴミ処理場には活性炭で水銀を吸着する装置があるため、実際には水銀蒸気が大気に排出されることはない(ただし、自治体によって処理能力に差あり)。
 ↓ 
 したがって、漆器を捨てたいときには、焼却ごみに出すことが可能。各自治体の規則に照らしても、普通ゴミに出してよいことになっている。
   
 ※この点に関して、訂正があります。私は以前の投稿で「水銀蒸気が大気に排出される」とお伝えしてしまいました。正しくは上記のとおりですので、新情報でご記憶くださいますようお願いいたします。

以上、ほとんど丸山さんの調査の受け売りですが、みなさまにお伝えしたかった環境問題の要点でした。
今回知った情報と皆での話し合いを経て、自分なりに考えたことも簡単にお話しいたします。


わたくし綿引千絵の現在地

◆水銀朱研ぎ水の排水について
 私は、排水に水銀を極力含ませないように努めております。
 水銀朱は重金属で大変重いため、研ぎ水を一定時間放置すると水銀が沈殿します。その上澄みだけを掬って下水に流しています。
 ただ、それが法に定められた0.005mg/L以下なのか、まだ不明です。自治体に依頼して調べることができるそうなので、宿題として今後調べることをみなさまにここでお約束いたします。

◆水銀朱を使うかどうか
 目下の考えでは、引き続き水銀朱のぬりものを大切に作ってゆきたいと思っております。
 上の↓に記したとおり、排水の工夫さえ万全にすれば、環境に害を与えず漆器生産、そして漆器の使用をしてゆくことが可能だと受け止めました。
 
 また、上では触れませんでしたが、文化的側面からも、縄文人と弥生人のそれぞれ異なる「朱の思想」が長い時間を経て融合し、奈良・平安時代以降の「朱塗り」への思い入れを形づくった歴史があります。それは今の私たちにつながる思想であり美意識だと、私は思っています。
 その視点からも、水銀朱の環境問題が深刻でないと思われる現段階では、水銀朱は絶やしてはいけない、水銀朱の文化を引き継いでいこう、と考えております。


こんなところです。
水銀朱の文化的意義の部分が、実は私の一番の関心事なのですが、まだ勉強不足で整理できていません。それはまた、あらためてお話しする準備ができたときに、みなさまに聞いていただけたらと思います。

これからもコメント欄等で、みなさまのお気持ち、お考えをお知らせください。
漆塗りも私たち日本人の文化、自然環境も私たちが暮らす大事な日本。だから、水銀朱を使うにしても断念するにしても、日本の“みんな”が何を望むかを知りながら、考えてゆきたいと思っております。


【2011.06.07 Tuesday 14:43】 author : chiewatabiki
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水銀朱の話 −危険か?安全か?使うか?やめるか?―
来たる5月21日、大阪の漆専門ギャラリー「舎林」にて、水銀朱をともに考える勉強会が開かれる。(参加者募集中!)
個人的には画期的な出来事!と思っている。

水銀朱のことはまずもって作り手が学ぶべきことなので、使い手のみなさまにはつまらない話題かもしれない。でも、私はできれば、使う側であるみなさまにも知っていただいて、みなさまと考えさせていただきたい。使い手、というか日本人みながどう思うか、何を望むかをお聞きした上で、この問題に対する態度を決めたいと思っている。少し(だいぶ)面倒な話をするが付き合っていただけたら、本当に本当にありがたい。
そして、「こうなんじゃないか」「この点は考えているか」など、湧いてくるご感想があったときには、何でもいいのでお聞かせいただけたら更にうれしい。お声をいただくことで、自分なりの答え、願わくば“正しい”答えにたどり着ければと思っている。


水銀朱と唐突に言われても…という方がほとんどだと思う。
水銀朱は縄文以来の赤の顔料で、辰砂、朱沙も同じ物だ。鳥居やお寺の什器など、いわゆる「朱塗り」の正体がコレだ(稀少で高価だったため、赤い漆すべてが水銀朱ではない。ベンガラがもう一つの伝統的な赤。)。
「水銀」の文字があるので、環境問題かと予想していただけたかもしれないがその通りで、水銀朱は有害か、水銀朱を今後使っていくべきか、やめるべきか、使っていいのか、使い続けるにはどういう条件が要るのか、などなど、考える場を今回持つことになったのだ。


「汁椀」 私の朱塗り商品はすべて水銀朱


誤解を招かぬようお伝えしたいのが、水銀朱は水銀ではあるものの、「水俣病」を引き起こしたメチル水銀とは別の種類だということだ。水銀朱の化学名は硫化第二水銀。とても大雑把に整理するとこうなる。↓

      無機水銀 − 硫化水銀(=水銀朱)
    /
 水銀
    \ 
      有機水銀 − メチル水銀

水銀には比較的安定した「無機水銀」と強毒性の「有機水銀」があって、それぞれに属する様々な水銀があるそうだ。

硫化水銀はメチル水銀と違って、体に入っても吸収されることはないし、もし吸収されたとしても害を与えることはない。それは科学実験でも証明されており、また、縄文以来、朱の漆器を使うことで健康被害が起こってこなかった歴史からも言えるので、赤い漆器を使っても何ら問題がないこと、その点だけは安心してほしい。
さっき「辰砂」と書いたが、硫化水銀の天然バージョンが辰砂で、赤い鉱物として地中に存在するものだ。なので、硫化水銀は環境中に在ってはいけない物、ということでもない。もともと自然の中に存在はしている。


ただ、水銀朱も水銀である以上、ある場合には毒性を持つ。それが生き物にどの程度の害を与えるのか、調査がまだ途上段階ということもあって、なかなか判断が難しい。
私が検索したり専門家に尋ねた範囲で理解しているのは、’馨討砲茲辰鴇発した場合と、⊃經超に蓄積されてある限界に来て、メチル水銀に変質した場合、の2通りで害が起こる。

,瞭農は確実で、はっきり判明している。だから、水銀朱塗りは「燃やせるゴミ」に出してはいけない(この部分の対策ができていないので、私たち漆関係者が早く行動しなければいけない。)。
※[2011年6月7日記] 注:焼却処分した場合に大気汚染が起こる、との私の認識は間違っておりました。実際は、ゴミ処理場の水銀吸着機能によって、害を及ぼさない処理ができているそうです。詳しくは「水銀朱の勉強会@舎林のご報告」を参照ください。

△砲弔い討蓮可能性が指摘されている段階かもしれない。無機水銀に属する水銀がメチル水銀に変質する場合があることは実験で証明されている。ただ、水銀朱で同じことが起こるのか、現在起こっているのか、それも含めて勉強したくて、勉強会の場ができたわけだけれど、まだ不明なことが多い。


わかりにくい説明が続き申し訳ありません。
水銀のことを不安に思われる漆器ユーザーもおられ、今までもたびたびお尋ねをいただくことがあった。なので、読みにくいと思ったけれど、水銀朱について知っていることをざっとまとめさせていただいた。



それで、やっとここから問題のポイントになる。
私がこの件で一番悩んでいて、一番の本質だと思っていて、だからみなさまに伺いたいと思っていることというのが、「水銀朱は日本文化の中であまりにも重要な位置を占めてきた。それを捨てていいのか?」という疑問だ。

正直、環境問題だけなら、私はさっさと「疑わしきは捨てろ!」と結論を出したように思う。
でも、水銀朱の色と質感は、美意識や信仰を含む「日本人の精神」を形づくった一要素だし、古代史が動く一要因に水銀朱があったとも言われている。
単純に、“日本っぽい”デザインをするとき、赤と黒と余白で表現したり、朱塗の皿に菓子が載ってくると「日本ぽい」そして「いいなぁ」「和むなぁ」「厳かだなぁ」と思ったりする。
骨董の世界で好まれている「根来」も、あの色合いは水銀朱だから出るものだ。また、根来最大の特徴である漆の“擦れ”は、使ううち比較的早く擦れる水銀朱の性質があってはじめて起こる。

こういった例を見ても、私たち日本人は、無意識のうちに朱漆という色・物質から「美」「善」の感覚を形成してきたと言えるんじゃないかと思う。

みなさまは、さきほどの「水銀朱は日本文化にとってあまりに重要」というところをどうお感じになるだろうか?ぜひ教えていただきたいのだ。
私の単なる思い込みかもしれないし、独りよがりで説得力がないかもしれない。または、当然そうだと思う方もおられるかもしれない。
そもそも、水銀朱の文化史的重要性ってどうしたら検証できるのか?できたとして、環境への危険性も不明な段階で、環境と文化は天秤にかけられるのか?判断基準は定められるのか?‥‥本当に悩んでしまう。


「それなら、折衷案・セカンドベストの案として、ほかの赤い顔料を使えばいいじゃない」と言われるかもしれない。
現代はレーキ顔料などが開発されているので、代替顔料を使う道を選んだ同業者が多いのだろうと思う。それが今、最も現実的な対処法なのかもしれない。
実際、出回っている赤い漆器のほとんどがすでに水銀朱ではなくなっている(環境への配慮というより、コスト軽減が理由でその傾向が広まったと思うが)。

でも、私は、「水銀朱でなければ日本の文化を守ることにならない」と思ってしまっているから、我ながら厄介だ。それについては、またあらためて理由をお話しして、みなさまに伺ってみたい。なんと、「水銀朱を使わないなら朱塗り自体やめてしまおう」とまで思っていて、そのくらい、水銀朱の色・質感・意味は代わりが成り立たない気がしている。
それなのに、なぜそうなのか、まだきちんと説明ができない。勉強会に出席して、自分でももっと勉強して、またここで述べさせていただきたい。


結局、何かしらの結論も問題の所在もはっきりさせられず、すみません。もし、ご意見やご質問、ご感想をお寄せいただける場合は、この記事のコメント欄、またはメール info@watabiki.jp までお願いいたします。


この記事は、元々、このブログのコメント欄でのやりとりの中で書いた内容です。
数年前から、何人かの方がコメントをくださり、水銀朱についてやりとりが続いていました。
実は今度の勉強会自体が、コメント欄に何度も書き込んでくれ、問題に詳しい丸山智洋さんが立ち上がってくださり、舎林さんに働きかけてくれたことで実現しました。
作り手のみなさま、水銀朱を使う立場、使わない立場にかかわらず、正しい情報に接し、皆で認識を共有した上で、この問題に対処しませんか?

 2011.12.14追記 上記「コメント欄でのやりとり」のうち、「pew」さんの名で寄せられたコメントについては、ご本人様のご依頼により削除いたしました。議論の流れが把握できない箇所があると思いますがご了承ください。
【2011.05.01 Sunday 12:12】 author : chiewatabiki
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溜塗とは
漆器を見るとき、器の種類や塗り方が漢字で羅列してあって、よくわからず困ることはありませんか?
「乾漆溜塗喰籠」とか。
家で使う器を選ぶときには、そこまで長たらしい商品名は少ないと思いますが、ぬりものには何かとわかりにくい単語がつきものです。これから折に触れ、言葉の意味とそれに絡めた自分の話をしてみようかと思います。

今日は「溜塗(ためぬり)」の話です。

溜塗は、黒塗、朱塗と同じように、仕上げの塗り方の一種です。
もっとも一般的な溜塗の色は、あずき色のような、えんじ色のような色。赤茶色、赤紫に近いときもあります。

溜塗の例 ちなみにこれがまさに「乾漆溜塗喰籠」増村益城作
 『塗りの系譜』(東京国立近代美術館)より

「あぁこれか」とご存じの方も多いでしょうか。でもこれ、溜塗の「溜」とは、その色を指しているわけではありません。そこが黒とか朱とはちょっと違うところです。

表層に透明な漆(=透き漆)を塗って仕上げたものをすべて溜塗といいます。
透き通った漆なので、下の層の色が見えています。でも、漆は元々茶褐色のため、透明といっても茶色がかった透明です。そのため、下層の色そのままではなく、少しにぶく落ち着いた色になります(サングラス越しの世界のよう)。

前述の「あずき色」というのは、朱漆を塗ったあとに透き漆で仕上げることで表れる色調です。下に朱が塗ってあるからこれを「朱溜(しゅだめ)」といいます。

したがって、下層の色によってさまざまな溜塗が存在します。
朱溜と同じくらいよく見るのが「木地溜(きじだめ)」です。
木地に漆を染み込ませて固めた後、下地などで木の肌を隠してしまわず、木地の上にすぐ透き漆を塗る方法です。
表面から木目を楽しめるのが木地溜一番の特徴です。また、漆を吸った木の色がほのかに透けて、新鮮な醤油か黒蜜かバルサミコ酢を光にかざしたような色をたたえます。なんとも美しい塗り方です。


どちらにしても、溜塗の素敵なところは、2層の重なりが奥行きのある色を作り出すところです。濃い色ガラスの奥行き感に少し似ているかもしれません。
これは、新品のときにはわかりにくいことなので少し残念なのですが、使ううちに透き漆の透け感がどんどん進みます。購入後1年くらいから下層の色が明るく見え始め、数年後には顕著に、奥深くてとろっとした色合いになります。

新品の溜塗の例 ふちなどに赤が透けているが、まだ黒塗と間違えるくらい透明感がない 『ほんものの漆器 買い方と使い方』(新潮社)より  

是非、漆器選びの際は、「透明感が出てきたら、明るい奥行きが楽しめるんだろうなぁ」と想像力を駆使して、溜塗を30%増しくらいの評価でご覧になってみてください!


長くなってしまったので、私の溜塗の話は次回にします。ここまで溜塗を持ち上げておいて、次はまさかの悪口から始まります。


【2011.02.10 Thursday 14:56】 author : chiewatabiki
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ぬりものを修理に出すタイミング
 以前、「漆器の扱いについて」という記事を書いたが、今日はその続編のような内容、「使っていってそれでどうするの?」という部分をお話したいと思う。

 つまり、いつ修理に出すのか、という問題だ。どこまで使ってどうなったら直したほうがいいのか、どのくらいなら使い続けていいのか、どうなったら直せないのか、などなどの問題。
 これについて、私は漆器使用歴もまだ数年だし、あらゆる状態の漆器を見てきたとも言えないので、薄っぺらい私が語れることは本当はあまりない。でも、修理の仕事でついこの前苦い経験をして、これはみなさまにもお知らせすべきかも、と思ったので一度まとめることにした。


高い所から落として上縁が欠けた椀。わかりやすく木地が見えているから要修理。


 まず、みなさまは、漆器は塗りなおしながら長い年月使い続けられるもの、ということをご存知だろうか?最近は「ほぼ間違いなく、買ったところで塗りなおしてもらえる」と周知徹底されてきているから、修理に出す方も増えているかもしれない。

 そこで安心して購入し、快適に使っていって、さて困るのが、「この傷は修理に出す程だろうか」と判断が付かないことだ。使っていれば、どんなに丈夫なぬりものでも細かい傷は徐々に増える。落として欠けることもある。そのほか凹んだり、艶がなくなったり、最悪真っ二つに割れたり…。
 大きな損傷があったら修理する決心が付きやすいが、傷が小さいほど、よくわからないものだ。修理費が安ければすぐ直すのだけれど、いくらか判らないから余計行動に移せなくなる。

 私は次のことを頭の片隅に置いていただけたらよいのでは、と思う。

木地が見えたらまず使うのをやめる。
 たいていの漆器はボディに木が使われている。塗られている漆の層は、木地→下地→中塗→上塗だ。中塗は上塗のような黒とか赤が多いから、剥げても目立たない。下地は黒くてざらっとした質感の、パテの層だと思ってもらえればいい。下地や中塗の施され方によって、早く木地が見えてしまうか、ある程度持ちこたえるか決まってくる。
 木地は木の白っぽい色か、漆の染み込んだ茶色っぽい色だ。これが顔を出すと、木地が直接料理の塩分や油分を吸い込んでしまい、劣化の原因になる。木地が相当に痛むと、漆器の命は終わってしまう。だから、木地らしきものが見えたら、修理に出す勇気がまだなくても、とりあえず使用を中止しよう。


茶色っぽく顔を出しているのが木地。かすかに木目が判別できる。

 下地の黒っぽい層が見えた時点で直しに出せれば、使い手としては優等生なのかもしれない。が、椀の上縁とか匙の掬う部分は漆が擦り切れやすいので、下地が出ることも珍しくない。その度に直していたら、漆器はメンテナンス費が高くつくということになってしまう。理想ではないけれど、下地が少しくらい見えていても、私は目をつぶっていいと思う。


下地の出たスプーン。この状態で数年もっているので、まだ塗りなおさない。


長年放置しない。
 使用中止した後、少し迷ったり、修理してくれる工房を探したりする時間があるかもしれない。その程度ならまったく問題ないのだが、私が修理させていただいた器は、どうしようと思ってから30年ほど仕舞われていた物もいくつかあった。これはよくない。
 そして時が経つにつれて、食器棚から、もっと見る頻度の低い天袋へと移動され、記憶からも消されて、次に出されたときには、乾燥によって木地がバリバリに割れていてショックを受ける。放置している間にも漆器は変化するのだ。漆の変化は少ないが、木地は湿度によって大きく変化する。
 せめて1年以内、百歩譲って数年以内には、修理に出していただきたい。新しく買うよりも安く、新品のように生まれ変わる。


早く手を打てば、修理費も安い。
 上に述べたように、痛み具合とそれに比例する修理費は、木地の状態がキーポイントだと言える。
 漆は、塩分と油分が嫌いだ。その二つの成分があると塗っても乾かないか、乾きが遅いか、乾いても使うと剥がれてしまったりする。木地が出てからも長く使い続ければ、塩と油が木の奥まで浸透して、漆が乗らなくなる。
 また、木地は乾燥が苦手だが、嫌いなのは天袋だけではない。電子レンジと食器洗い乾燥機も乾燥を引き起こすので、これに入れると木の細胞がズタズタになる。その損傷の受け方は、天袋の乾燥よりもたちが悪い。
 塩分、油分、乾燥この三大悪にたくさん晒されると、通り一遍の修理方法では上手くいかず、職人は手を焼くことになるので、工賃もかさむ。できるだけ損傷の少ない状態で安く直し、長く使い続けたいものだ。


費用は…
 職人さん、工房によってかなり幅があると思うので、軽率に語ることはできないが、新品に近い額だとしたら誰も直さなくなり、「直せる」という漆の特長に反してしまうので、それよりも低いのは確かだと思う。逆に、新品と同じくらい掛かってしまう修理は、直す甲斐のないほど損傷を受けている場合なのかもしれない。ある有名漆器店のホームページには新品の30%〜70%と説明されてあり、私の感覚でも妥当のように思うので、ひとつの目安として覚えておかれてはいかがだろう?
 参考にならないかもしれないが、私の場合も記しておこう。私は、直しは地元の方中心に、自分の制作の傍ら、ゆっくり作業させてもらうのを条件として受けるので、割と良心的な値段だと思う。無地・蓋ナシ、無傷の汁椀で、上塗のみを塗りなおす場合は2,000円(日本産漆使用)。ただ、まったく傷がない状態で持ち込まれる直し物は少ないので、汁椀は3,000円〜5,000円となるケースが多い。


 少しは修理に出す不安が解消されただろうか?上に書いたこととは違う点でお困りの方もいらっしゃるかもしれない。コメント欄かメールでご相談いただければ、わかる範囲でお答えいたします。 info@watabiki.jp


 自分の失敗談を披露すると信用を落とす危険もあるので、いつもは見栄を張ってなるべくいいこと、前向きなことを書こうとしてしまう。でもみなさまの参考にもなりそうな経験があったので書いてみる。
 
 修理を始めてすぐの頃、日常的に食器乾燥機に入れられていた椀が持ち込まれた。一見して、木地全体に無数の亀裂が入っているのがわかった。それでも、よく漆を吸わせて丁寧に下地すれば何とかなると思ってお受けした。
 しかし、塗り上がったものをお客様が使うと、まもなく木地に入っていた亀裂が漆の層を貫き、塗面まで傷だらけになってしまった。もう、木の細胞が壊れきってしまったものは、いくら塗ってもカバーできないのであった。もちろん修理費をお返しして、損傷具合を最初に見極められなかったことをお詫びした。
 
 もう一つ、つい先日なのだが、以前修理した椀が戻ってきた。まだ数回しか使っていないのに、漆が剥がれてきたというのだ。青ざめた。お預かりしたとき木地が見えていて、長年の乾燥で木地が相当弱っているとは思った。ただこれも、考えられる工程を全部踏んで丁寧に塗れば蘇ると判断してしまった。
 剥がれてしまった原因はまだ考えている途中だが、この椀はお客様ご本人が使っていたものではなく、実家に長年仕舞われていたものだった。いつ頃、どのくらい使い込まれたのか、使っている時から木地が出ていたのか、仕舞ってあったことで劣化したのか、さっぱりわからないとのお話だった。漆の表面はまだ艶やかだったので、長年の乾燥が主な損傷原因かもしれない。こちらも全額返金させていただいた。

 二つのケースは、もしかしたら、腕のある職人さんなら見極めも作業ももっと的確で、直せたものなのかもしれない。ただ、すべてのぬりものが、どんな状態でも直せるとは限らない、ということは痛感した。
 今まで、ぬりものは直して使えるのだと皆に伝えたい、何でも直せる、何でもお引き受けしたい、という気持ちだけで取り組んでいた自分を反省した。もっと研鑽して、技術を身に付けなければいけない。
 こういうこともあるので、みなさまがお使いのぬりものが痛んだときには、早めに対処していただき、どうぞ長くお楽しみください。
【2009.07.12 Sunday 10:21】 author : chiewatabiki
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漆の抗菌効果
 7月19日にいただいたコメントで「漆の抗菌性」の話が出た。そこにお返事したとおり私も「実体験で納得しなきゃ!」と思い、早速ミニ実験を試みたので、その報告をします。


 漆が抗菌作用を持っているということは昔から経験知として了解があったようだ。近年それが科学的に実証されたので、作り手・売り手も「漆の特性」に抗菌性を新たに加えて紹介するようになった。
 この研究の第一人者は金沢工大環境・建築学部バイオ化学科の小川俊夫教授という方で、漆に接した大腸菌が24時間後に死滅することが判ったそうだ。研究結果や抗菌性の話がわかりやすく載っているサイトがあったので、興味があったらご覧ください。↓
http://kouryu.pref.fukui.jp/research/g/g_1.html#g_1-3
http://homepage2.nifty.com/tanioka/page009.html
http://www.kyo-shikki.jp/think/index.html

 では、そういう滅菌のデータが意味するところは何だろう?実際に漆器を使う場面でどのくらい威力を発揮するのか?まさか漆器に入れれば食べ物が腐らない、ということでもないだろうし…。じゃあ!と思って、私なりに普段使う食器で抗菌性が実感できるかやってみた。

実験期間
 2007年7月下旬〜8月5日に数回

実験内容
 漆と磁器のぐいのみに、それぞれ小さじ1杯ほどの米飯を入れ、ラップで 蓋をしてテープで留める。完全ではないが密閉に近い状態。常温で置く。 

実験結果
 3日経過した時点で、両方に白濁して泡が混じったような汁が溜まる。そ の量は磁器の方が倍くらい多い。ラップを外したとき、どちらも腐った匂 いがするが、漆器からの匂いが「普通に臭い」だとすると、磁器の方は突 如強烈な吐き気を催すような臭さだった。違いは大きく感じられた。


 甚だふざけた、くだけた、主観的な実験になってしまったことは反省点なのだが、お遊びの実験にしては「同じものを同じ期間同じ場所で放置して違いが出るということは、やっぱり容器の違いと言えるのでは?」と思えて満足いく結果だった。
 初めは丸1日経ったところで味見したのだが、両者ともほとんど変わりはなく、まだ食せる範囲内だった。これでは実験にならないので2日3日と置いて腐り方を見るしかない、と思った。でも、さすがの私も、真夏に常温で2日置いて糸を引いている米を食べる勇気は出なかったので、いっそのこと目視で違いがはっきり確認できるまで見守ることにしたのだった。

 本当なら、漆とそうでない材質の弁当箱に毎日弁当を詰めて、長期間調べてみたらいい結果が得られるのだろう。しかし私は漆の弁当箱はまだ作っていないし、手持ちのものもない。今回は簡単な実験にとどめた。
 どなたか、お弁当生活をなさっていて、「漆の弁当箱を使うようになったら、プラスチックのよりも食品の持ちが良くていい」というような感想を持たれた方はいらっしゃいませんか?是非、コメント欄でご経験をお聞かせいただけたらと思います。よろしくお願いいたします。

 また実験は続けていこうと思う。今回のだけでは信憑性に欠けるので、違うやり方を考えてみよう。
 ともかく私としては、漆器が磁器に勝った現場を目撃したのは(あくまで抗菌性の勝負だが)、「抗菌効果を最大限活かすであろう弁当箱・重箱を自分の商品にいつか必ず入れよう!」と心に誓うに十分な出来事だった。



【2007.08.06 Monday 09:23】 author : chiewatabiki
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歴博フォーラムのこと
 ブログはその日その日のフレッシュな話題を書きつづるのが好ましいと思うが、今日は無理矢理、まだ肌寒かったある日の話をさせていただきます。
 
 3月24日、第59回歴博フォーラムを聞きに出掛けた(歴博=国立歴史民俗博物館)。テーマは「漆の文化と日本の歴史」。去年、雑器としての漆器の歴史について興味を持ち、少しだけ調べて「雑器考」「雑器考 つづき」を書いた。その直後に恰好の催しを見つけたのだから、迷わず申し込んだ。
 
 (3月24日の次の日、そう、25日朝にあの能登半島沖地震が起きてしまった。安否確認やらお見舞いやら…そちらに意識が移って、それっきりフォーラムの余韻はどこかに飛んでしまっていた。)



 フォーラムのプログラムは4人の研究者が順に講演し、その後、その4名+歴博の館長による討論となっていた。会場に入るとほぼ満席。定員580名だが、私は申し込み番号が2だったから「漆の学問的な話をわざわざ聞きたい人ってそんなにいるのかな」程度に思っていたが、行ってびっくりした。見たところ中高年が圧倒的に多い。歴史・民俗学愛好家だろうか。次に多いのは漆関係者か。あとは学生らしい人がちらほら。
 去年読んで感動した本の著者、四柳嘉章さんも講演されるのが何より楽しみだった。結果は…、最新研究を発表する学会ではないので、本に書いてある以上の内容はあまりなかったと思う。でもそれは仕方ない。話は面白かったし、貴重な資料のスライド写真も見せてもらえてよかった。
 少し残念だったのは討論会。休憩時に参加者から募った質問を元に議論が展開されることになっていた。私は四柳さんに向けるつもりで「中世で漆器はどの程度庶民に使われたのか、庶民が使う食器は漆器が中心だったのか」というような疑問を書いて提出しておいた。しかし討論の間中世の話は全く出ず、もちろん私の質問も読まれなかった。しかもどの議題も話が深まらないうちに時間切れになってしまった。
 なんだかすっきりしなくて、このまま帰るのがもったいない。今日はチャンスなんだから!直接質問しよう!と思い、終了後四柳さんに近寄ってみた。しかし誰かと談笑しておられる(ちょっと高尚な雰囲気)。しばらく後方で待ったがいいタイミングが来そうにないので、弱気な私はすごすごとその場を去った。ああ情けない。
 でも全体としては興味深い話をたくさん聞けて、収穫の多い一日だった。歴史民俗博物館は遠いので行きそびれているが、いい企画展の時に一度行ってみよう。

 ひとつ、私が一番「目からウロコ」だった話をしよう。それは歴博の永嶋正春さんの講演だ。
 みなさまは縄文人が漆を塗る風景というと、どんなイメージが浮かぶだろうか?縄文時代の漆製品としては櫛や籠が出土しているが、それらを分析して当時の漆工の様子も明らかになっているのだ。それは現代と大きく異なる。
 縄文人が漆を塗るのは夏だけ。驚いたことに、ウルシの木から樹液を調達して塗って乾かすまでの流れを一日でおこなっていたという。縄文人はウルシの木の栽培・管理ノウハウを獲得し、集落近くの森に植栽していたそうだ。漆を塗る日は朝森に行って漆を採取し、集落に戻って精製(容器の中で攪拌し熱を加えて水分を飛ばす)して塗っていた。そして、高温で焼き付けて速やかに乾かして(硬化させて)いたらしい。そこまでがワンセットの仕事だ。塗りを重ねる場合は、また次の日に漆を採ってきて一連の作業を繰り返す。現代では多くの場合、漆掻き・精製・塗りはそれぞれ違う人が担う。一人で手がけるとしても別々の時に行う。
 なぜ縄文ではそのような作業サイクルだったのか。大きな要因は、漆を保存する術がなかったからだ。漆は空気に触れるとじきに固まってしまう。保存するには容器に入れて、蓋として紙やラップを漆に密着させて空気から守らなくてはいけない。縄文には紙もラップもなかったから、漆が採れる夏がおのずと漆工期になるし、その日採取した分をその日に使い切るしかないのだ。
 私たち現代人は漆掻きさんが採ってくれた漆を買い、夏は冷房、冬は暖房を入れることで一年中いつでも同じ作業をすることができる。もちろん温湿度によっていろいろ工夫は必要だが。自然が許すコンディションの中でのみ漆工をしていた縄文人は、漆を自然からの戴き物だと深く深く知っていたんだなぁ。同じ塗りだろうとも私の仕事は縄文人の漆工に決して及ばないだろう。
 ちなみに、数千年も昔なのに縄文人は今と同じようにヘラ・刷毛・漉し布といった道具を使い、赤色顔料も粒子の微妙な調整までしていたと考えられている。漆工技術のベースはかなりの部分、大昔の縄文人が築いたようだ。
 漆を採りに森に向かう縄文人を想像する。神秘の漆を扱うにあたって儀式などがあったのだろうか。漆工は厳かで神聖な作業だったのだろうか。それとも、狩猟採集の余暇にする手仕事だから、わくわくするアートの時間という感じだったのだろうか。縄文の頃の、人と漆のつながり方がいいなぁと思う。私もそんなふうに漆と本質的なかかわり方をしたい。 

 
【2007.06.18 Monday 11:31】 author : chiewatabiki
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輪島塗の良さ
 今日で能登半島沖地震から3週間が経った。
 私の知り合いはみな体は無事だったが、何かしらの被害は受けており、避難所に行かないまでも自宅で不自由な生活をしている人、商売の品がずいぶん駄目になってしまった人などいろいろだ。連絡を取ってみて、やっぱりこんなに大変なんだ…と、ショックというか気の毒というか、なんとも言えない気持ちになった。でも、輪島の人の声を聞くと恐怖と疲労の中でも前向きなので、ほっとするし尊敬もする。


 輪島に元気が戻るために、今日は輪島塗のセールスをさせていただこうと思う。漆器業は漆の液体、輪島地の粉、木地、製作中の漆器、完成した商品、どれも被害が大きかったと聞いている。小さな購買運動だろうとも、輪島の要は漆器産業なので、是非とも輪島塗の良さを皆様にご紹介したい。義援金も必要な助けだけれど、ぬりものを買って使えば、輪島も助けられるしご自身も楽しめる。どうかよろしくお願いします。

 輪島塗といえば高級漆器、それは間違いない。ハレの漆器、お客さん用、料亭の器、といったイメージも当然かもしれない。今は「ふだんづかいの漆器」という流れがあるが、それも、高い割に古い型の漆器を作り続けていた‘産地'に反発して、個々の作家・職人が漆の原点を見直した結果とも言えるかもしれない。
 ただ、他の産地同様、輪島もバブルの崩壊を機に徐々に変わってきたのだろうと思う。今では多くの塗師屋さん(=漆器店・漆器会社)が蒔絵などの付いていない無地の日用雑器を幅広く取り扱っている。シンプルな椀などは、作家物でない量産物でも良品が見つかると思う。

 しかし、輪島塗について私が一番アピールしたいのは普段使いできる点ではない。技である!その技には、(少し高価であっても)手元に置いて長年かけて堪能する価値が十二分にあると思う。輪島塗が日本一といわれる所以も、伝統に裏打ちされた技術が広く認められているからだと思う。輪島は木地、下地、上塗、加飾など、更に各職の中も細かく分かれ、徹底した分業制をとっている。分業制の利点は、個々の工程がものすごくハイレベルな出来になることだ。技が高ければ、その器は使い心地が良く長持ちすることになる。
 
 漆器というのは陶磁器やガラスよりも、塗り方の技術そのものが品質に直結する工芸ではないかと思う。例えば、椀の縁に漆を均一に塗るのは高い技術が必要だ。口当たりのためには程よい薄さでないといけないから、薄くて漆がきちんと付いているというのはなかなか難しい。初心者が不均一に下地付けしても上塗りしてしまえば一見きれいに仕上がるが、使ってみると支障が出てくる。まず不均一な箇所の漆が擦り切れてきてやがて木地が見えてくる。小さな傷から亀裂は広がるし、木は水気を吸って歪んだり腐ったりするから、その器の寿命を縮めてしまう。
 これはあくまで極端な場合であって、漆器はすぐ駄目になるという誤解を与えたくはないのだが、漆器は技術によってそれだけ良し悪しが違ってくる、ということをお伝えしたいのだ。その点、輪島塗は信頼を置けるものが多いのは確かなことではないだろうか?

 輪島塗の優れた点にうなずいてもらえるとしても、何を生活に取り入れようかと迷われるかもしれない。椀、盆、重箱、皿、鉢、盃…何がよいだろう。日用雑器も多くある。私は、あえて吸物椀をお勧めしてみたいと思う。上に述べた輪島塗の神髄が貫かれていて、かつ、気に入った形を選びやすそうだからだ。私自身は輪島塗を習いはしても、塗師屋さんから購入して使ったことはないので信憑性がないかもしれないけれど、これまで近くで遠くで輪島塗に接してきて、自分がお金を出して手に入れるなら吸物椀を選ぶかなと思う。
 輪島の吸物椀は、ごく薄い木地に丁寧に布着せ(傷みやすい部分に麻布を貼って強くする)して、輪島地の粉で下地付けしてあって、大変に丈夫でかつ軽い。職人技満載の器とも言える。丈夫にしたいなら木地を厚くすればよさそうだが、それは違うのだそうだ。薄い木地だからこそ表からも裏からも漆を芯まで吸い込んで、木地全体が漆の塊のようになるから木が割れたりせず、かえって丈夫になるという仕組みだ。手仕事の知恵ですね。
 吸物椀は蓋付きなので決して安い買い物ではない(絵柄がシンプルなものでも2万円位〜が目安)。5客揃えなくても良いし、1客ずつ数年がかりで揃えていく、というのも楽しそうだ。値段を考えれば毎日の汁椀には使いづらいけれど、お客さんを招くとき、家族のお祝い、ちょっと和を感じたいとき、と折々に登場する器と捉えたらどうだろう。用途も吸物だけでなく、刺身、和え物、ちょっとした煮物、洋風の前菜…工夫の余地はありそうだ。蓋は小皿・小鉢のようにも使える。
 吸物椀は店舗でももちろん探せるが、是非ネットや書籍などで正直な仕事をしている塗師屋さんを調べた上でお買い求めください。

 少し押しつけがましくなって申し訳ありません。けれど、今回の地震で輪島塗が受けたダメージを考えると、危機感が募るので、筆が走ってしまった。すでに90年代、相当数の職人が後継者を残さず退職または転職しているところに地震の影響が重なれば、技の伝承はどうなるのだろうと思う。
 以前に触れたDuco の渡辺さんのこんな言葉を覚えている。「私は作家が何人生まれて何人消えたって何も痛くない。でも、職人が一人いなくなることはとても痛い。それは漆文化の存続にかかわることだから。職人の分業が成り立たなくなれば日本の漆は倒れる。」
 もし、これから被災地に援助を考えることがあれば、輪島塗購入という方法も候補に入れていただけたら幸いです。

  
【2007.04.15 Sunday 11:09】 author : chiewatabiki
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雑器考(つづき)
 前回は「漆の日用雑器はあったのか」という私の素朴な、そして切実な疑問について、少ない論拠の上に長々と述べました。これからある学者さんの研究を紹介しますが、それを読んでみると、やっぱり「漆は日用雑器もあった」というのは本当だと確信しました。こまかい技法の話も出てきますが、興味があったらお読みください。



 私は漆器が「雑器」になったのは中世だろうと目星を付けて、「雑器」「中世」をキーワードにネットや本を拾い読みしてみた。そこにタイミングよく、今年出版された漆文化の概説書を見つけた。最新の研究だ、やった!目次を見てみると中世のことも詳しく出ているようだ。今まだ全体の半分も行っていないが、どこを開いても知識の宝庫。漆を考えるヒントがいっぱい。古代〜近世が網羅され、読み進めるにしたがって人と漆の関わりが具体的に浮かび上がる感じなのだ。良い本に出会えた。
 四柳嘉章著 『漆機Ν供戞)\大学出版局 2006年 

 この本によれば、やっぱり漆器が庶民に普及したのは中世らしい。食器の変遷を遺物でたどると、縄文時代はおなじみのあの土器で、それ以降の古代遺跡から見つかるのは土師器などで、そうした土器類が少なくなるとともに徐々に漆器の出土が増えるらしい。11世紀頃だ。地域も広範で、東北・北陸・関東はもちろんだが、土器・磁器が主体だった西日本でも大量に見つかっている(例:広島県 草戸千軒町)。
 なぜ漆器は広まったのか?それは「渋下地」という下塗りの技法が開発されたからだという。「渋下地」とは簡素な塗りの方法で、下地工程で漆を使う代わりに柿渋と炭粉を混ぜたものを塗るのだ。また、表層の漆塗りも1〜2回程度の薄い塗りだそうだ。
 漆芸の技術は、実は奈良・平安で頂点に達する。その頃は高貴な人が使う物だったから、漆器は下地から全て漆を使った良質なものばかりだったわけだ。それが中世になって逆に質を落とした漆器が多くなった。そうさせたのはきっと人々の暮らしの欲求で、やっぱり簡単な作りであっても漆を塗った器がきっと必要だったのだなぁ。まさに「必要は発明の母」である。こうして渋下地漆器の出現を契機に、たくさん生産できるようになり値段も下がって、漆器が庶民にも身近になったのだ。
 ちなみに、出土品と文献から漆器の具体的な値段もわかっていて、「椀 ○個○文」などという例がたくさん出ている。当時の物価は私にはわかりにくかったが、渋下地のものはかなり安かったらしい。
 
 少し時代が下って戦国時代の例だが、「中世の技術革新」という記事を見つけた。これも四柳さんの研究を踏まえている。↓

 戦国武将朝倉氏の館、武家屋敷、町屋跡などから武具、生活用具をはじめ多彩な出土品があった。中でも、昭和四十年代後半、注目を集めたものの一つに漆器があった。
 「それまで律令時代の漆器は、他の遺跡で多少見つかっていたが、身分の高い人が使っていたとみられる程度のものだった。戦国時代の町からまとまって出土したのは、全国でも例がなかった」。県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館の南洋一郎主任は語る。
出土した漆器

 漆器は、水気の多い井戸や溝から数百個単位で出土した。椀(わん)や皿をはじめ、甲冑(かっちゅう)、家具、石臼(うす)にまで漆が塗ってあった。当時、生活の隅々にまで漆が浸透していたことが分かった」と南主任。
福井新聞「よみがえる漆文化」より抜粋。漆についてコンパクトにまとまった連載です。オススメ)

  
 大昔の漆技法の実態、さらに人々の暮らしの一端がこんなふうに明らかになったのは割と最近(1980年代から)なのだというから驚く。漆に関してこういう問題意識の持ち方自体が新しかったのだろうし、出土品をミクロの次元で解明する高精度な顕微鏡と成分分析機器が登場したから可能になった研究なのだろう。こういったアプローチを「漆器考古学」と言うらしいが、それも四柳さんが命名したもので、新しく確立した学問なのだ。
 この分野の研究者はまだ多くないようで(漆の研究者自体がそもそも少ないのだが)、私が目にした資料はほとんどが四柳嘉章さんの調査をもとに書かれていた。だから、四柳さんの立場だけを鵜呑みにするのは危険なのかもしれない。
 
 ただ、この方、スゴイ人だと思う。綿密詳細な調査がまずすごい。けれどもっとすごいのは、漆と人の関わり全体を文化として描き出そうとする姿勢だ。分析結果だけでは単なる事実の羅列になってしまうところを、例えば「なぜここに朱漆を塗ったのか」「なぜこの形にしたのか」と問題提起し、そこから日本人の美意識や精神性を丁寧に読み取っていく四柳さんのまなざしに感動してしまった。たぶん、以前は漆文化をトータルで捉えようとする研究者はあまりいなかったのだと思う。美術品だけとか、技法とか、地場産業、流通、科学分析といった狭いテーマで(でも深いが)個々に語られた本が多かった。だからこそ、「日本人にとって漆がなんだったのか」を探る道を先導してくれる四柳さんの研究は素晴らしいし、こんな研究をしていてくれてありがたい。また、内容は知らないけれど「漆器は日常食器ではないのか」という熱い題名の論文も書かれていて、私の気持ちそのままだったので心の中で万歳した。
 四柳さんの研究を知ったのは今回初めてではなく、実は輪島にいた頃、講演会を聞きに行ったことがあったのだが忘れていた。珍しい苗字だったのでそれで思い出した。お話にとても興奮したことだけはおぼろげに記憶にある。漆器を顕微鏡で拡大すると、どんな漆を何層塗ってあるかがわかって、私が弟子入りして習っている技法が実際は縄文人も何千年も前にすでに同じことをしていたということまでわかって感動したのだった。昨日、その時とったノートを久々に引っ張り出してみたら、ちゃんと「漆の普及−中世 渋下地漆器」と殴り書きされていた!絶対読もうと心に誓った本の題名もメモしてあった。なのに、それっきり何年も忘れたままだった。
 
 
 ひとまずは、漆の雑器はあったのだと考えていいと思う。漆を日常使いできるか否かのポイントは、私なりに突き詰めると^靴い面倒か高価か、この2点だった(前回の項参照)。△蓮⊇族蔀麓心錙疊羈單安い、ということで一応解決した。,砲弔い討蓮中世以降大量に使われた証拠があるから、気軽に簡単に扱っていたのだろうとは思う。でも、どんな料理を盛ったか、毎日使ったか、古くなったら塗り直しは普通に行われていたか、渋下地だと耐久性はどのくらいか…まだ詳しいイメージは湧かない。このへんをもっと調べたら、普遍的なこと(どの時代の人にも便利なのか)について判断できるのだろうと思う。そうすれば、過去を参考にして私は今の時代にふさわしい漆器を、今の人が使いたい漆器を作れるかもしれない。 
 さらに雑器の風景が見えてきたら、またここで紹介します。とりあえずは、まだ作ったことのない渋下地漆器を試してみようか…。
  


【2006.12.16 Saturday 18:35】 author : chiewatabiki
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